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「構造的危険」があり、合理的な反対が各地で活発なのになぜ、日本電力業界と日本政府はこのような
原子力政策を続けるのか。巷間言われているとおり「兆円」の税金を突っ込み、上がりの利権で最も
効率が良いのが防衛利権と原子力利権だからだ。
利権額が巨大になるほど、世論形成は徹底し、抱き込まれる学者や議員は多くなる。時代に逆行して
日本の原子力行政推進の中心は勿論、中曽根康弘だ。奴が隠然たる力を政界に誇示する理由は、利権規模
の大きさに関係している。原発建設のトップは鹿島建設(現・鹿島)だ。高速増殖炉「もんじゅ」、
「ふげん」、福島第一原発、1号、2号、3号、4号、5号、6号、福島第二、1号、2号、3号、
浜岡1、2、3号、女川1号、浜岡1,2,3号、伊方1,3号、柏崎1,2,5号、島根1、2号、
東海1、2、大飯1、2号、泊1,2号、これらは全部「鹿島」の建設だ。
鹿島建設の創業者・鹿島守之助の娘婿が渥美健夫で元会長だ。その息子直紀が結婚したのが日本・原子力
委員長だった中曽根康弘の娘美恵子だ。日本の原子炉建設トップ企業と日本の原子力政策の推進者が
「血族」として繋がっているのだ。ふざけてる、を通り越している。日本の典型的な利権の閨閥は年々、
深くゆっくりと強化形成されている。1954年3月に中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力
予算が上程された。4月に成立すると、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」
構造的汚職の巣窟と化して行った。自民党中枢と右翼団体の殆どが、ピラニアのように原発に群がり、
食い尽くして行く。
[腐食の連鎖/広瀬隆著]
五四年三月二日、中曽根康弘によって、日本の国会に初めて原子力予算が上程され、その年に正力松太郎
が、一年後に安部英の養父・高橋雄サイが、それぞれ読売新聞社に復帰できたのは、占領軍のアメリカが
アジアの中心的基地として沖縄を確保し、日本人を軍事的に利用するためであった。
その後、免責の機会に力を得た正力は、さらに衆議院議員に転じ、初代の原子力委員会委員長に就任して、
戦前の隠然たる勢力を回復させることに成功した。以来、中曽根と正力が、政界における原発推進の両輪
となって動いてきたという経過である。”。