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■日本で支援活動にあたっていたロシアの原子力専門家、ウラジーミル・アスモロフ氏日本政府に提言
日本は、一番重要な時にコントロールを失ってしまいました。
日本の複雑で硬直的な官僚的運営モデルによって、事故への対応が遅れてしまったのです。
ロシア人にとっては5分で済んでしまうようなことでも、日本ではまず委員会を立ち上げ、会合を重ねることが必要で、
しかも肝心な責任者は1人だけで、常に連絡を取れるとは限りません。
事故があって停電してから9日間、原発には電力が供給されませんでした。
ロシアならば、即座に地面にコイルを伸ばして、予備発電機を投入したことでしょう。
もしも放水ポンプをすぐに動かすことが出来ていたならば、最悪の事態は避けられていたことでしょう。
独自の官僚的政策決定が長引いている間に、原発は燃えてしまったのです。
(なぜ日本は海外の支援部隊の受け入れが遅いのか?)
受け入れに時間がかかったのはロシア人専門家だけではありません。
原子力調整委員会を代表していたアメリカ人専門家の受け入れにも時間がかかりました。
日本側は、外国の経験や助言を活用することは、欠点をさらけ出し、自らをおとしめることになると考えていたようです。
また日本国内の政治状況も、問題をさらに複雑化させました。現在、政権についている与党は、40年間野党の立場であって、
運営することよりも、批判することになれてしまっていたわけです。さらに危機管理ともなればなおさらでしょう。
(3/21日付けイズベスチア紙より抜粋)URLリンク(japanese.ruvr.ru)