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1989年1月6日に発覚した福島第二原発3号機の部品脱落トラブル。
原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落、それが原子炉内に流入していた。
前年暮れから3回も警報が鳴っていたのに東電は事故を隠し続け、1月6日の異常警報でようやく県に報告した。
前県知事の佐藤【栄佐久】氏は、(今の県知事は、佐藤【雄平】)原発が抱える根源的問題を直観、原発や原子力行政を学び、
その在り方に批判的になっていく。
それが頂点に達したのが、2002年8月29日、経済産業省原子力安全・保安院から県に送られてきた18枚のFAXだった。
そこには、「福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」
と、書かれていた。
炉心を支えるシュラウドと呼ばれる重要部分の損傷まで隠ぺいしていた事態に、国民は驚き呆れ、
東電は平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉の歴代社長が総退陣、恭順の意を示した。
だが、佐藤氏が怒ったのはむしろ国の対応である。
改ざん隠蔽の事実は、内部告発によって明らかとなったが、それを原子力安全・保安院が受け取ったのは00年7月である。
保安院は立ち入り調査することなく、「こんな告発があるけど」と、東電に紹介、
調査は東電に任せて「調査の結果、告発内容と一致しなかった」という東電報告を受けて、口を拭っていた。
「国と東電は同じ穴のムジナだ」と、佐藤氏は、2年も放置した国の責任を重く見て、
「本丸は国だ。敵を間違えるな」と、県の担当に檄を飛ばし、原発を点検に合わせて次々に運転停止、
東電管内の17基の原発がすべて停止しても、攻撃の手を緩めることはなかった。
全基停止中の04年12月21日、『朝日新聞』の「私の視点」で、
事故への反省もなく、体質改善の努力もなく、専門家が決めたことを押し付け、原子力政策を推進していることを問題点として訴え、
05年夏の電力需要期を迎えても、佐藤氏は運転再開のゴーサインを出さなかった。
『日本経済新聞』(05年6月5日付)は、
「運転再開に注文をつける佐藤知事のせいで目算が狂った」と、社説で福島県知事を批判した。
そしたら収賄罪で逮捕起訴され、有罪になっちゃった。
その時の特捜部の検事は・・あの、厚労省のおばちゃんを、罪をでっち上げて起訴して有罪にした人