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ウォール・ストリート・ジャーナル日本版に、興味深い記事があった。
原発の下請け作業員の月収は20万円ほどで、サラリーマンの平均29万円より低いのだという。
ちなみに、社員平均年収800万円の東電なら50万円前後に上るはずだ。
一方、リビアのカダフィ派は、最大で日給2000ドル(約16万4000円)でアフリカ諸国から
傭兵を募集しているそうだ。戦場というリスクに加え、カダフィ派が敗れれば独裁者の走狗として
処罰されるリスクもあるわけで、日給が高騰するのは当然だろう。
同じ危険の伴う仕事にもかかわらず、原発と戦場でこれほど処遇の違う理由は何だろうか。
当たり前の話だが、世の中のあらゆる事業には予算がある。
原発を作るのにも軍隊を作るのにも予算があって、その中に人件費も含まれる。
あとは、業務内容に応じて仕事に値札をつけ、人を雇うだけの話だ。
予算の範囲内で、リスクの高い仕事には高い値札が付くことだろう。
ところが、自由に値札を付けられないような規制があったとしたら、どうなるか。
たとえば「賃金を下げてはいけない。クビにしてもいけない」という規制があったとしたら。
声が大きく、政治力のある集団がまず必要なお金を確保した上で、手が回らない仕事については外部に発注するだろう。
そういう仕事は、たいていキツく汚く危険な仕事にもかかわらず、きっとビックリするほど安い値段で卸されるに違いない。
だって、声の大きな人たちが、余ったお金で声の小さな人にやらせる仕事だから。
これが、日本国内にハイリスク・ローリターンな仕事が存在する理由である。
リスクに値札をつけることなく、声の大きな人がトクをするシステムだと思えばいい。
大手電機や自動車、そして原発まで、この歪みは日本中に溢れている。
そして、リスクをかえりみない声の小さな人たちの頑張りが、この国を支えている。
この構図を言い表すのにもっとも適当な言葉は、「身分制度」だろう。
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