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★昔の知恵・教訓は、被災しやすい所には住んではいけない
■武田信玄は、川が氾濫する片方の側には、住民が住むのを禁止していた。わざとそこの堤防を決壊させて、住民が住む反対側で氾濫させないようにしていた。しかし、現在は両側に住んでいる。
■貞観時代の人は浪分神社を遺すことで、後世に「ここから先には住むな」と警告していた
我が国の祖先は、津波や地震を、石碑や神社などに残している。沿岸各地に様々なタイプの石碑が残されているが、現在、その存在や意義が忘れられつつある。
「貞観津波で波がここまできた」という警告のため、浪分神社も立てられて現存している。
仙台市若林区の陸上自衛隊霞目駐屯地のすぐ近くには「浪分神社」という小さな神社がある。
東北大学理学研究科博士研究員の菅原大助さんによると、貞観津波の直後に建てられた神社で、現在の海岸線から約5キロ離れたこの付近まで、津波が到達したと伝えられる。
菅原さんらは、浪分神社から海岸寄りの水田地帯で地質調査を行い、津波堆積(たいせき)物の分布を調べた。
その結果、915年の十和田湖噴火で積もった火山灰の直下に、貞観津波で海から運ばれた砂の層が確認された。
津波堆積物の到達ラインは現在の海岸線から約3キロ。津波は、当時の海岸線から少なくとも2.5キロは内陸に遡上したと推定される。
◆1000年間隔で襲う津波 仙台内陸部まで遡上、対策急務[産経新聞 2009/07/27]
◆防災お役立ちネット URLリンク(www.hitachi-to.co.jp)
そして…
【東日本大震災】仙台周辺 津波が内陸5キロに及ぶ スレリンク(newsplus板)
仙台市宮城野区から宮城県岩沼市にかけてのおよそ20キロの沿岸では、今回の地震による津波で、海岸から5キロ前後離れた内陸にまで津波が及んでいたことが分かりました。
このうち、仙台空港の周辺では、津波は5キロ以上内陸にまで及んでいたということです。