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そのうちに1号機では炉内の熱で水蒸気が発生し、圧力が高まっていった。
破裂しないうちに放射性物質を含む水蒸気ごと逃がし、圧力を下げる必要があった。
これをベント(排気)という。「ベントをやらなければならなかったが、
本店は非常に消極的」(政府関係者)という状況だった。
福島第1原発の現場責任者は、吉田昌郎・執行役員発電所長である。その陣頭指揮
は光っていたようだ。「吉田所長は勇敢で現実的だった」と政府関係者は言う。
「しかし、本店を経由してしか現地に連絡できなかった。だから12日朝、菅直人
総理がヘリで現地に飛び『ベントしろ』と言った。吉田所長の背中を押しに行っ
たんだ」(政府関係者)。
はたして12日午後、ベントが行われたものの、格納容器内で発生した水素が
建屋に漏れ、水素爆発が起こった。14日には3号機でも水素爆発が起き、安定的
だった2号機でも炉心の水位が下がり、燃料棒が露出して空炊きという非常に
危険な事態となった。水を入れる必要があった。
「とにかく、本店と現地に温度差があった。そもそも予備電源が切れたときの想定がなくて
驚愕した。最初から自衛隊でも警察でも使えと言っていたのに、本店はあまりにも悠長だった」
と、政府関係者は言う。
プラントメーカーの東芝首脳も唇をかむ。
「最も原発を知っている技術者たち専門家集団は地震直後からスタンバイして
いた。東電の本店の廊下にもいた。しかし部屋に入れてもらえなかった。
東電とメーカー、官邸が仲間になれたのは地震発生の3日後だった。もっと早く
手を打てたはずだ」