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氷のように冷たい水に何時間もつかりながら、津波に襲われた車からお年寄りを次々と
救い出した少年がいる。東日本大震災で死者が2千人を超えた宮城県石巻市。助けを
求める声を聞き、われを忘れて救助し続けた。少年は自宅を流され幼なじみも亡くし、
温かい町が変わり果ててしまったことに落胆しながらも、阪神大震災のちょうど1年後の
「1・17」に生まれたことに今、宿命を感じている。「若い僕たちが立ち上がらないと。
町の復興も僕らがやります」。(藤原由梨、写真も)
石巻市の中学を卒業し、地元の水産高校に進学する菊地透也君(15)。自宅近くで
買い物を済ませ、母の由理さん(43)が運転する車中に居ながら、激しい揺れがすぐに
分かった。気付けば津波はすでに間近まで来ており、あわてて2人でやや高台にある
JR渡波駅に駆け込んだ。「振り向いたら車がおもちゃのように流されていて信じられなかった」
駅は海岸から約2キロ離れていたが、こぢんまりとした駅舎を取り囲むように濁流が
押し寄せ、何人もが目の前を流されていった。駅舎にはすし詰めになるほどに大勢が
逃げ込んだが、「助けて」という悲鳴にも誰も動けなかった。何もできないふがいなさと
怒りがこみ上げてきた。
水の流れが落ち着いたころ、駅前のロータリーに流れ着いた車数台に人影を見つけた。
車の上にさらに車が積み重なり、危険な状態だった。
身長170センチ、体重50キロのきゃしゃな体。由理さんに「大人に任せなさい」と制止
されたが、覚悟は決まっていた。「自分がやらなかったら、死んでしまう」。ジャンパーに
スエットという軽装のまま、胸まで水につかりながら車のドアをこじ開けた。
日が暮れてからは、誰かの持っていた懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
「車体が壊れてなかなかドアが開かない車もあったが、なぜかそのときは強い力が出た」。
駅舎にいた人たちも手助けしてくれるようになった。高齢者を6~7人助け終えたとき、
寒さで震えている自分にやっと気付いた。
つづく