11/03/28 01:24:14.31 0
>>1つづき
水が引いた翌日、避難所になっていた近くの小学校で、家族全員と再会できた。海に
近かった自宅は土台しか残っておらず、周辺は半数以上の家屋が被害にあった。2軒隣に
住んでいて「何でも話し合えた」という幼なじみの同級生の女の子は、自宅から1キロ以上
離れた場所で遺体で見つかった。「あいさつをすれば言葉が返ってくる温かい町が、震災を
境に寂しくて悲惨な場所になってしまった」
震災から1週間後、「お礼を言いたい」という高齢者のメッセージを携えて市職員が
避難所に訪ねてきた。「そんなつもりで助けたのではない」と直接会うことは断ったが、
助けた人が自分を覚えていてくれたことがうれしかった。そして、阪神大震災からちょうど
1年後の平成8年1月17日に生まれたことを今になって意識するようになった。
「阪神大震災もみんなが力を合わせて復興したんですよね。この町も僕ら若者が立て
直します」。避難所で炊き出しなどに走り回るボランティアをみて、将来は困っている人を
助けられる人間になりたいと心から思っている。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
お年寄りらを救助したJR渡波駅でたたずむ菊地透也君。がれきの多くは撤去されたが、
線路には流されてきた車が今も残る=宮城県石巻市
URLリンク(sankei.jp.msn.com)