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お前らよりかは確実に知識あるだろうな
1974年 東京大学の工学部を卒業する。当時「21世紀のエネルギー」と期待されていた原子力工学を専攻する。
在学中、世界的シンクタンク・ローマクラブの『成長の限界』を読み、地球規模の課題であるエネルギー問題と
環境問題に取り組むことを志す。しかし、大学院に進んで原子力の環境問題を研究するためには、放射線医学や
放射線生物学を学ぶ必要があると考え、医学部放射線健康管理学教室で研究生として学ぶ。このとき、恩師、
吉澤康雄教授との邂逅を得る。2年後、工学部大学院に進学。
1981年 東京大学大学院・原子力工学専門課程を修了する。工学博士を取得。同年、三菱金属株式会社(現三菱
マテリアル株式会社)に入社する。このとき、秋元勇巳取締役(現三菱マテリアル会長)との邂逅を得る。当時、
原子力分野のシンクタンク的役割を果たしていた原子力事業部で企画、営業の仕事に従事。