11/03/28 00:21:57.23 lnNoPfbu0
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いま、我々は、東日本大震災の惨禍と混乱の中にあります。
この惨禍と混乱の中にあって、いま、我々は、何を考えるべきでしょうか。
この東日本大震災。二万人を超える方々が命を失った、この大震災と大津波。
それは、なぜ、起こったのか。いま、我々は、そのことを考えるべきでしょう。
ただし、その意味は、決して、日本は地震国であったから、日本は島国であったから
そういう意味ではない。
そうした「科学的説明」よりも、大切なものがあります。 「意味」を感じる力。
それが、いま、深く問われています。
そして、我々の心の奥深くには、いま、共通の感覚が、ある。この大震災は、起こるべくして起こった。
その感覚が、あります。それは目の前にある、現実。
・混迷する政治 ・低迷する経済 ・共感を失った社会 ・倫理を忘れた経営
・働き甲斐の無い労働 ・浮薄な文化 ・弛緩した精神
実は、我々の誰もが、そのことを感じていた。そして、我々の誰もが、心の中で感じていた。
いつか、この国は、経済の破綻に直面する。そのとき、我々日本人は、大切なことに、気がつくのだろう。
誰もが、そのことを、心の中で感じていた。この、我々の中に、共通にあった感覚。
しかし、実は、この感覚の中に、すでに、甘い認識が潜んでいた。
2011年3月11日。 何が起こったか。政治、経済、社会、文化のすべての破綻を遥かに超え
史上空前の危機がやってきた。 一瞬にして失われた、二万人を超える尊い命。
いま、誰もが、この事実の前に、言葉を失い、茫然と立ち尽くしている。
しかし、この最も痛苦な時期だからこそ、我々が、自らの心に、深く問わなければならない、大切な問いが、ある。
この方々の尊い命は、なぜ、失われたのか。その問いを、問わなければならない。
そして、その問いを通じて、我々が、気がつくべきことが、ある。
この方々が、その尊い命を賭して、我々に、教えてくれようとしたものが、ある。
そのことに、気がつくべきでしょう。 では、それは、何か。
この講演では、そのことを語りました。