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東日本大震災が福島第一原発を襲ったのは、私が事故発生から25年目のチェルノブイリ原発事故
取材を終えて帰国した直後だった。チェルノブイリでの取材体験から日本がのっぴきならない自
体に陥る可能性を直感。「まさか日本で原発事故取材に出かけるとは」と思いつつ、3月12日に
福島県郡山市に入った。
翌13日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)の仲間や写真誌「DAYS JAPAN」編集長の
広河隆一さんと合流した。
福島第一原発のある双葉町は、13日時点で既に避難指示が出ていた「原発から20キロ圏内」にあ
ったが、入域制限しているチェックポイントまでは行ってみようと国道288号線を東に向った。
すると、予想に反して双葉町まで行き着いてしまった。検問も避難指示の案内板もなかった。国
道をまたぐJRの鉄橋が崩れ落ち、地震のすさまじさを見せ付けていたが、人影はない。
20マイクロシーベルトまで測定可能な放射線測定器を取り出すと、アラーム音を発しながらみる
みる数字は上がり、限界値の19.99を示した。放射能測定が初めての仲間が「この数字はどのく
らいのレベルなんですか」と防護マスクでくぐもった声で聞いた。「おおよそだけど、普段の
東京の数百倍かな」と答える。既に尋常でない高濃度汚染地に入り込んでいた。
車を町の中心部に向けて進めた。人けのない家が並ぶが、地震の被害はそれほど見られなかった。
そこで、もう1台の100マイクロシーベルトまで表示する測定器を取り出すと、これも針が
振り切れた。