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「国益をかいくぐって韓国との対話を図りたい」と発言した。これは場合によっては
国益に反することも考えている、ということか
「それは状況によって違う。国益を意識しながら、僕らは『和解』をいっている。
韓国の国民と日本国民、あるいは韓国の政治家と日本の政治家が和解する。
あるいは韓国の政治家と日本の政治家が和解する。
この『和解をする』というのはキリスト用語で、単に仲良くするというのではなくて、
相手の立場を尊重しながら、相手の言うことも聞きながら自分の主張も言うし、
そこで理論としてではなくて、人間として出会う。
その出会いを大事にし、そこから出発しないと、日韓問題は解決しないというのが私どもの考えだ。
だから、国益をもろに出せば、もう、まったく話し合いはできない。ことごとくぶつかる。
それを何とかしなければいけないといって、この同じ信仰を持つクリスチャンたちが出会っている」
「で、出会っているのはいいんだけど、今回みたいな話になると、僕はため息をつくわけだ。
『これからも大変だなあ』と。だけど、めげずに対話を続けていく。お互いの言い分を十分、聞いていく。
そこからしか、日韓の新時代は始まらないと思っている。日本も韓国ももっと『和解』というキーワードで
寛容な態度で接してもらわないと、ことごとく問題は硬直化してしまう」
--今回はいわば『だまし討ち』にあったようなものだが、『同じ信仰を持つ者』として許すのか
「だまし討ちなんて考えていない。ある種、『韓流』なんだ。
思いこんだらどんどん先に進む、というのが(韓国の)皆さんだ。後でこんな問題になって、
韓国とも電話で話しているが、『それは悪かったね』というようなことがやっと分かるということであり、
私はこれで何か、交流が途絶えるとかは一切、考えていない。
今後も、生きた草の根の交流を私はやらせていただきたい。国会議員ということもあるが、
牧師でもあるし、クリスチャンでもある。韓国の『痛み』をよく知った者の一人として、今後も対話を続けていきたい。
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