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まずは、学界である。学界といってもいろいろなレベルがあるので、最初に「世界の学界」を見てみよう。
ここでは、状況は希望に満ち満ちている。端的に言って、
数多くのノーベル賞受賞者を含む第一線のマクロ経済学者の中で、上の意味でのリフレ派に属していないのは、
思いつくところでごく一人とか二人にすぎない。逆にいえば、それ以外のすべてはリフレ派である。
その海外の専門家にとって、日本の金融政策論議がいかに奇々怪々なものかは、
現在はアメリカFRBの理事を務めるベン・バーナンキが、日銀の金融政策決定会合での議論
(毎回英文でも公表されている)を評して、「中原伸之氏(前日銀審議委員)の発言を除いてすべてジャンク」
と述べたことからも窺える(高橋洋一「ゼロ金利下でも有効な金融政策」岩田規久男編『まずデフレをとめよ』日本経済新聞社)。
このレベルにくると、反リフレ派は、具体的な反論もできずに、「他人の議論の援用ではなく自分の頭で考えるべきだ」とか、
「日本の風土にあった経済学でないとだめだ」といった怨嗟の抗弁をわずかに試みるのみで、はたから見ても惨めである。
しかしながら、学界といっても、国内に眼を移すと、様相は若干異なってくる。アカデミックなマクロ経済学者の中にも、
反リフレ派の大物や中堅を何人かは見い出すことができる。こうした国内と海外の差異が、何が原因で生じているのかは、
それ自身として追求するに値する、興味深い問題である。
「お茶の間」に直接その声が届くようなマスメディアにまで降りていくと、状況はまさに一変する。そこではもはや、
上記のような反リフレ派、構造改革派エコノミスト以外の姿を、ほとんど見ることはできない。
おそらく、この領域で唯一リフレ派といえるのは、ほぼ森永卓郎氏だけであろう。若干微妙なのは、リチャード・クー、
植草一秀といった、財政派の論者たちの位置付けである。彼らは確かに景気重視派ではあるが、同時に、
金融政策の意義を完全に否定してはばからない反金融緩和派でもある。したがって、上に定義した意味でのリフレ派には入らない。
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