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>>1(の続き)
キャメロン氏の演説があった翌日、英国紙「オブザーバー」の社説は次のように批判を加えている(2月6日付「オブザーバー」Web版)。
まず、移民に英語を学ばせろというが、一体誰が教えるのか? 政府はついさきごろ、英語教育の予算を大幅にカットしたばかりではないか?
これに限らず、多文化主義政策をきちんと実施するにはコストがかかる。カネをかけずにただ放置するだけでは、
分断がいっそう進んでしまうおそれがあるのだ。
「政府はしばしばイスラム共同体と適切な協力関係をうまく築けなかった。その理由は、そもそも『イスラム共同体』なるものが存在せず、
あるのは伝統も信仰もばらばらの小集団からなるパッチワークだったためだ。
内務省や自治体が社会的結束を促進するための基金をやりくりしようと悪戦苦闘する理由の一つがこれである。
不適切な助成金が、分断を推し進めるような団体の手に渡ってしまうことすらありうるのだ」
これに私の解釈をつけ加えれば、異質な文化を尊重しようというのなら、その文化を育む最低限の基盤となるような、
一定以上の規模を持つ共同体が必要となるということだろう。単に放任のみでは共同体はまとまらない。
文化的なまとまりを持つ共同体を育むことも、適切な多文化主義政策の一環なのである。
多文化主義といえば、私はいつも05年7月に起きたロンドン同時多発テロを思い出す。その直後、
当時ロンドン市長だったケン・リビングストン氏は犯人たちに向けて声明文を発表した。(>>3へ続く)
毎日新聞 2011年2月27日 東京朝刊
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