11/02/24 07:13:57.08 uc26kRxt0
価値観の違う在日外国人が、
長い年数日本で住んだからと言って、
その価値観が日本人とほとんど同じになる事はない、
それは文化や宗教や言語において別であり、
日本人の文化や宗教や言語をある程度統一している中で、
全く違うその価値観を取り入れ、
それに配慮する事は国として困難である。
何故ならば、宗教や文化や言語において全く違う価値観に配慮することで、
自国の古くからの価値観を改変しなければならないとなれば、
それは国の歴史を失う結果になるからである。
日本人として日本語を共有してくれるのなら、それは効率が良いが、
多言語が錯綜し、その全てを識字率の中に取り込めば、
大変少数の他の言語の為に、大多数の日本人の意思疎通が阻害されてしまう、
文化において、日本共有の文化活動に
多数の文化のタブーも込みで取り込んでしまえば、
他の文化に配慮して日本の文化活動が阻害されてしまうような事があれば、
それまでの歴史の断絶であり、非効率な改悪となるだろう、
宗教上では食べてはならないモノや、神聖化ゆえに家畜として虐待が許されないなど、
多文化共有では、その全てのシステムの改変が必要となる、
その改変が、少数の外国人の為に行われるなんて非効率な事は出来ないし、
それまでの日本の宗教的な尊厳のある存在にも外国人が文句を言う可能性もある、
外国人参政権とは、そのような国として別だったゆえに問題の無い事柄を、
民族の混入と権利を与える事で、多数の問題が相互に発生するような事柄であり、
国と国との相互理解と配慮と尊敬を失わせ、混乱と無秩序を誘発する横暴な権利を与える事に繋がる。