11/02/15 21:43:40 l44IQ9DG0
>>45
石原慎太郎公式HP「情報氾濫のもたらすもの」より一部抜粋
URLリンク(www.sensenfukoku.net)
携帯電話とかパソコンといった現代文明の所産は通話による情報交換の便宜の末に、情報の氾濫(はんらん)をもたらしたといえる。
その結果多くの人間たちは大脳生理学の公理になぞらえていえば、実がなりすぎて上部の大脳が肥大しすぎ肝心の幹である脳幹の発育が追いつかず、嵐が来たら上の重みに耐えきれず簡単に折れてしまうリンゴの木のように、
過剰な情報を収(しま)いきれずに人間としての本質を失いつつあるような気がしてならない。
ある哲学者はそれを人間の本質的貧困化といったが、要するに、個人が行うべき情報の整理や分析評価を、それがあまりに過剰なためにその作業そのものをも他の情報に頼るという現象だ
首都大学東京准教授の宮台真司氏が面白い分析をしていたが、そもそも情報なるものは現実を希薄にしてしまう。
第一に、情報は勘違いを難しくしてしまう。
第二は、情報化は規範の輪郭を曖昧にしてしまう、と。
第三には、現実を入れ替え可能にする、と
つまり自分の感性や情念にのっとった決断や選択の、自らの人生における比重がごく軽いものにされてしまうことで、生きるということの中での、人間としての積極性が殺(そ)がれてしまう。
生きていく中での人生の不可知さ、未知なるものへの恐れや憧(あこが)れは、生きて自分にしか出来ないかも知れぬ試みを手掛けることでの満足、充実のよすがの筈(はず)だが
人生そのものが既視現象になってしまえば生きることそのものが無意味にさえ感じられてしまうだろうに。
情報の氾濫が既知性で社会を覆えば社会そのものが衰退していくのは道理だろう。
昔社会心理学者たちが指摘した文化遅滞(カルチュラル・ラグ)なる公式、人間自身が開発し推進した新しい科学技術体系が逆に人間たちを大きく規制し、それに対する人間の適確な順応が有り得ぬ時、
社会の崩壊さえが有り得るという警告に、真摯(しんし)に耳を傾けなくてはならぬ時代に至ったような気がしてならない。(ここまで)
【まとめ?】
電子機器の普及→情報の氾濫→自ら行うべき情報の整理・評価作業を外部の情報に頼る→現実の希薄化、既知性が社会を覆い尽くす→社会が衰退