11/01/28 13:50:45 uvGF49ON0
>>371の続き
人が生きるため、あるいは食糧確保のために働くのは先天的な自然理念と思う。
だけど、国家のため、あるいは社会のために国民が働くのを当然の是とするのは、
やはり後天的な社会教育でなされるべきと思う。
だったら、そのような社会教育カリキュラムを、いつ?誰? が教えたのか?
と言う素朴な疑問にたどり着く。
そんなことは親の義務と言われてしまえば、返す言葉も無いが、
じゃあ、親の務めというなら、その親に教育したのは、いつ? 誰が? となってしまう。
戦後の民主主義で成された後天的な社会教育とは・・・
つまり国家は国民を どのように教育したのか?
それが今 問われている。
戦後の民主主義で成された後天的な社会教育とは・・・
日本人に“謝罪&賠償アヘン”を売り、日本人を平和ボケ愚民にテレビ電波で洗脳し、
教壇からは日教組の先生が無抵抗な子共に、反戦平和思想を脳裏に刻み込み、
日本人から闘争本能を喪失させた。
後天的な社会教育とは・・・
学校では 日教組、家に帰れば テレビ・ブラウン管、
反日売国と謝罪&賠償アヘンで日本人を堕落させれば、経済どころか、
日本そのものが破滅崩壊するのは、当たり前!
(連投はアク禁になるから しばらく休憩)