11/01/22 16:23:28 M7Ml4E8a0
>>482続き
当然のことながら、メーガン法の周辺には、市民の安全を優先させるのか、あるいは
性犯罪者たちの人権を尊重するのかという議論が渦巻いています。
たしかに、性犯罪者にしてみれば、この法律というのは実に困ったものでしょう。
仮に、心を入れ替えて人生をやり直そうと思っても、どこへ行っても周囲の目がついて回るわけで、
いつも性犯罪者という目で見られることになります。しかも、インターネットで顔写真などの
個人情報が公開されていますので、こういったことが精神的に相当な負担となるでしょう。
そして、生涯にわたって、性犯罪者という烙印とともに生きていかなければならないのです。
しかし、このことは同時に再犯を防ぐことにもなっているのです。すっかり心を入れ替えた
つもりでも、何かのきっかけでついついやってしまったという事態も考えられるわけです。
性犯罪者というのは、同じような犯罪を繰り返す傾向があるようですので、情報を
公開すれば、たしかに性犯罪者たちにとっては、再犯がやりにくくなるわけです。
しかし、忘れてはならないのは、公開された性犯罪者たちの影に、たくさんの被害者たちが
いるということです。たくさんの被害者たちが、犯人によって人生を狂わされているのです。
犯人に殺されてしまった人は、もう二度とこの世に戻ってくることができませんし、
犯人から性的な虐待を受けた人は、それが原因で精神的な障害を抱えてしまったり、
家庭が混乱したり崩壊したりしているのです。そして、生涯にわたって性的な虐待の問題を
抱えながら生きていかなければならないのです。なんとかこの問題を乗りこえたにしても、
そこには長い長い苦悩に満ちた日々があるのです。こういった被害者を、これ以上
増やさないためであれば、犯罪者たちが忌まわしい烙印を背負っていかなければならない
という問題が、はたしていかなる意味を持つのでしょうか。
メーガン法というのは、決して性犯罪者たちをどこかに追い出してしまおう法律ではありません。
性犯罪者たちと共存しながら、地域のみんなで見守っていこうという法律なのです。