11/01/17 18:50:43 0
(>>1の続き)
実際、安倍首相(当時、以下同)は2007年8月27日の内閣改造で与謝野氏を官
房長官にしたが、約1カ月後の9月26日に退陣。福田首相も08年8月2日の改造で
与謝野氏を経財相にしたが、9月24日に退陣した。両内閣で、改造後に入閣したのは
与謝野氏ただ1人。第3次小泉改造内閣は、小泉政権最後の内閣で、任期は1年に満た
なかった。
一方、与謝野氏を発足当初から起用した場合はどうか。村山首相は94年6月から
96年1月の1年半で退陣。98年7月に就任した小渕首相は、00年5月、在任中に
非業の死をとげた。麻生首相は08年9月からの1年足らずで、政権交代の憂き目にあった。
自民党有力筋の1人は「与謝野氏は、歳をとるごとにどんどん劣化していった。特に
麻生政権末期はあせって政局も政策もめちゃくちゃ読み誤っていた」と話し、こう続けた。
「そもそも、麻生首相が批判された定額給付金にしても、与謝野氏が『所得制限する
べきだ』と強く訴えたため、あのゴタゴタ劇が起きた。結局、財務省などから『所得
制限は無理だ』と言われると、与謝野氏はサッと逃げた。08年度補正予算案で民主党か
ら猛列に叩かれた“国立漫画喫茶”にしても、もぐりこませたのは与謝野氏だった。また、
衆院選前には麻生首相に退陣を迫ろうとしたが、首相に『俺の次は誰がやるんだ』
と言われ口ごもってしまった」
(続く)