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【社会】 木簡の解読文字数、49に倍増…奈文研再調査で
天智天皇の近江大津宮に関連するとみられる大津市の北大津遺跡(7世紀後半)から出土した「音義木簡」を、
奈良文化財研究所が約30年ぶりに再調査したところ、解読できた文字数が、当初の約2倍の49文字に増えた
ことが、わかった。
漢和辞典のように漢字の訓読みや意味を示した木簡で、情報量が増えたことによって、より詳細な研究が可能
になり、日本語の音韻や漢字を使った表記の変遷をたどる上で貴重な史料になりそうだ。
木簡(長さ68・5センチ、幅7・4センチ)は1973年度、滋賀県教委の調査で出土。同県内で初めて見つかった
木簡で、同県警鑑識課が撮影した赤外線写真を使って調査した。その結果、77年に、約50文字が残り、うち26
文字を解読できたことが報告された。
現在は、墨書が薄れて文字が読めなくなり、赤外線写真のフィルムも劣化して現像できなくなっている。昨年8月、
奈良文化財研究所が新たに赤外線撮影したところ、79文字以上が残っていることがわかり、うち49文字を解読する
ことができた。
「費」に「阿多比(あたひ)」、「鎧」に「与里比(よろひ)」などの訓を、漢字1字を日本語の1音にあてて記していることが
新たに判明。「慕」を「尼我布(ねがふ)」とする訓などが平安時代の辞書にも書かれており、この読み方が、7世紀後半
にさかのぼることが明らかになった。
また、木簡に書かれた文字は上下二つのまとまりになっており、文字の出典が複数ある可能性があるという。
この木簡は、大津宮にいた官人や僧侶のような知識人が、漢籍か経典などを読む際、間違いやすい文字や意味の
わかりにくい文字を書き、手元に置いて参照した手控えだったとみられる。
調査した同研究所の山本崇・主任研究員は「書かれた文字が薄れても諦めずに読むことができたのが収穫。今後、
墨の痕跡のない木片も、注意深く見ていく必要がある」と話している。
(2011年1月10日10時44分 読売新聞)
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