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「短名と短命」を持つ菅首相
「菅は“もってる”からね。退陣は避けられない」(某政治評論家)という卯年の政局から、まずはみてみよう。
支持率急落の菅直人首相とはいえ、卯年の首相交代は稀なことらしい。
「寅年は戦後、田中角栄、橋本龍太郎、鳩山由紀夫の3人の総理大臣が
内閣総辞職に追い込まれた動乱の年ですが、卯年の首相交代は1987年(昭和62年)、
中曽根康弘から竹下登への1回だけ。それも禅譲ですからね」(政治部デスク)
もちろん、卯年でも戦前、とくに'39年(昭和14年)は1年間で第一次近衛文麿と
平沼騏一郎の2内閣が相次いで退陣。それ以前にも山縣有朋、若槻礼次郎内閣も総辞職している。
また、'96年(平成8年)の正月早々、村山富市首相が政権を放り投げたように、1月政局は珍しいことではないのだ。
前述の'39年は1月4日に近衛文麿内閣、翌'40年も1月14日に阿部信行内閣が退陣している。
阿部首相は在任140日の短命内閣だった。実は、菅首相が“もってる”のはその短名と短命。
〈苗字の読みが二発音の首相短命説〉は永田町の都市伝説でもあるという。前出の政治部デスクが説明する。
「平成の二発音総理は菅さんを含めて5人(宇野宗佑、羽田孜、森喜朗、安倍晋三)いますが、
最短は羽田さんの64日。最長でも森さんの387日しか続いていません。
6月8日で就任1年を迎える菅さんは1月の通常国会、4月には統一地方選が控えていて、本当にどこまで持つのか怪しい」
さらに、二発音首相の末路には悲愴感が漂う。
昭和の岸信介は日米安保で、三木武夫は三木おろし(ロッキード事件)で宰相の座を引きずりおろされた。
大正では平民宰相こと原敬が1921年(大正10年)、東京駅で暗殺された。
流血の惨事では、力道山事件('63年=昭和38年)や朝日新聞阪神支局事件('87年=昭和62年)も卯年に起きている。
卯年ではないものの、年号、西暦で1が並ぶ'11年の年は明治11年大久保利通暗殺事件、
1911年大逆事件(12人を死刑執行)、昭和11年2・26事件と政治的テロが重なっている。
「そもそも、卯年は大政奉還(1867年=慶応3年)があり、世の中がひっくり返った年。 >>2以降へ続く
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