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同町草越の農業、荻原亨栄さん(75)は速水さんや朝鮮兵の様子を覚えている。「速水さんは
長靴を履いて軍刀を下げていた。朝鮮兵たちはねずみ色の服を着て、武器は持っていなかった」と振り返る。
腹を空かせた朝鮮兵に、住民がいった大豆を渡したこともあったという。開墾された土地は現在、
荻原さんらがレタスなどを栽培している。
速水さんによると、部隊の作業は終戦で終了。船で帰国できるよう手配を試みたがかなわず、
9月に信濃追分駅から送り出した。名簿は指示を受けて焼却処分したという。三重に帰った速水さんはその後、
県公安委員長、県教育委員長などを務めた。
雨宮名誉教授は「旧軍人から話が聞けたのは速水さんだけで、貴重な証言」と話している。
08年には愛知県などで作業した元農耕隊員からも韓国で話を聞いており、近く研究結果を出版する予定だ。
(終わり)