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第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年に朝鮮半島で徴兵され、県内などで開墾に携わった
「農耕勤務隊」(農耕隊)と呼ばれる朝鮮人部隊について、県内には約3千人が動員され、
3百人ずつ10カ所に配置されていたことが、旧陸軍少尉として県内で任務に就いていた
三重県紀北町の林業、速水勉さん(91)の証言で31日、分かった。
同隊について研究している青山学院大の雨宮剛名誉教授(76)によると、旧軍関係者が同隊の移送や
配置について証言した例はほかにないという。速水さんは2008年、雨宮名誉教授が調査を進めていると知り、
自分が指揮官だったと名乗り出た。聞き取り調査に協力し、今回、信濃毎日新聞の取材にも応じた。
速水さんによると、県内に配属されたのは第5農耕勤務隊。45年4月下旬に速水さんら日本兵
約30人が山口県・下関を出発し、連絡船で釜山へ。現地で既に徴兵されていた約3千人を船に乗せ、
軍艦の護衛を受けて下関まで運んだという。現地部隊からは、創氏改名による日本名の名簿を受け取ったという。
速水さんは取材に「みな軍服姿で、20歳ぐらいの若者だった。現在の北朝鮮で徴兵された者が多く、
釜山到着前に逃亡した人もいたと聞いた」と証言している。
下関からは列車で任地へ向かい、速水さんが率いた部隊は5月に北佐久郡軽井沢町の信濃追分駅に到着。
朝鮮兵約3百人と日本兵50人が現在の同郡御代田町に駐屯し、国有林のカラマツ林約80ヘクタールを開墾、
ジャガイモやソバを栽培した。県内のほかの部隊の駐屯地がどこなのかは、記憶がはっきりしないという。
朝鮮兵は農家の蚕室に雑魚寝し、日本兵は農家に分宿。速水さんは「朝鮮兵は農民だったようで、
農作業はよくできた。部隊内では日本兵によるリンチを禁止した。仕事が農作業だったので、
部隊はピリピリとした雰囲気ではなかった」としている。「みな、何をさせられるのか分からずに
連れて来られた。来たくはなかったと思う」と話した。
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