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「雄琴って、思ってた以上に、いい温泉ね」。大津市雄琴地区にある旅館、
ホテル10軒の中でも、大正ロマンの雰囲気漂う「びわ湖花街道」。浴衣姿の
女性客や家族連れがほっこりくつろぐ。女将(おかみ)で社長の佐藤祐子さん(40)は
「ごゆっくり」と声をかける。「最近は、幅広い客層を目にする機会が増えた」と、佐藤さんは感じている。
雄琴温泉は戦後、名神高速道路など交通の便の良さを背景に発展、1970年の
大阪万博では旅行会社から予約が相次ぎ、最盛期を迎えた。しかし、万博景気が終息すると、
温泉南側の田んぼだった土地に急速に風俗店が建ち始めた。やがて、旅館、ホテルの数を
上回る約40店が、派手なネオンを輝かせるようになった。
佐藤さんは、幼い頃から「将来は社長になれ」と、先代社長の父から言われ続けた。
「お前の父ちゃん、エッチな店で働いているだろう」と、誤ったことを言われ、
ショックを受けたこともあった。しかし、京都市内で生活していた佐藤さんにとって、
父の職場は楽しい所だった。「広い琵琶湖を見られるし、おいしい食事もプールもある」
花街道は40年(昭和15年)創業の「国華荘」が前身。佐藤さんは短大卒業後、
いったん、民間企業に就職、3年後の22歳の時、国華荘に戻った。仲居など旅館の
あらゆる仕事を1年ほど体験して「若女将」に。かつては珍しくなかった旅館の女将だが、
“歓楽街”のイメージが強くなった90年代初めの雄琴では、
少なくなっていた。佐藤さんは「旅館らしさを出したい」と思った。
バブル経済が崩壊し、廃業する同業者も出始めていた。佐藤さんら旅館の
若手経営者8人が集まり、98年、「雄琴青経塾」を結成、月1回集まって振興策を
議論した。「歓楽街は不要」との強硬論も出たが、やがて「雄琴を、温泉地として
改めて知ってもらおう」との方向でまとまった。
以下ソー、いやソース
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