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長崎市銅座町の十八銀行本店で、1905(明治38)年6月3日付の長崎新報=長崎新聞の始祖=が見つかった。
日露戦争で日本の連合艦隊とロシア・バルチック艦隊が対馬海峡で激突し連合艦隊が勝利した
日本海海戦が同年5月27日。その1週間後に発行された紙面で、同海戦の詳細が掲載されている。
長崎新報は1889年から1911年まで発行。今回見つかった紙面は、長崎新聞社や
県内の主な図書館にも残っていない。同行地域振興部業務役の岩永滋さん(52)が本店資料格納室で見つけ、
今月放映されたNHKドラマ「坂の上の雲」の時代をほうふつさせる内容だったため、長崎新聞社に連絡した。
見開き4ページで、破損もなく保存状態は良い。紙面では、日本海海戦の勝利に関する勅語を受けた、
東郷平八郎連合艦隊司令長官の「奉答」が1面トップ。続いて、同海戦を報じた欧州各国新聞について伝え、
「日本艦隊の成功に対し驚愕(きょうがく)せり」などと記載。ロシア艦隊の死傷者数や「古今大海戦比較表」
なども載せている。
2面では「第一艦隊の戦況」として「春日艦乗組将校の談」を掲載。5月27日、ロシア艦隊に近づき、
距離8千メートルとなってロシアが砲火。5800メートルほどで連合艦隊が射撃を開始。
「第一艦隊が斯(か)くの如(ごと)く前頭を圧する間に第二第三艦隊は南方より敵の後尾に迫りたれば
敵は全然潰乱(かいらん)し殆(ほとん)ど戦闘力を失ひたれば午後七時半我艦隊は打方(うちかた)止めの
号令に接し戦闘を中止す」などと記している。
>>2以降に続く
URLリンク(www.nagasaki-np.co.jp)
十八銀行本店の資料格納室で見つかった1905(明治38)年6月3日付の長崎新報
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