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李朝末期には、奴婢が公賎(官庁に所属した奴婢)と私賎(両班などに所有された奴婢)に分けられ、
私 賎は男子が少なく、女子がほとんどであった。婢(女の奴隷)は日韓併合当時、まだ一人三十円で
売られていた。婢に特定の夫はおらず、何人かの間で替えていくのが風習であった。しかし、婢 は主人
の所有物であったから、その生まれた子供もまた主人の所有に属し、その子もまた転売さ れていくので、
婢の子孫は、女子であれば、ほとんど世々代々奴隷として浮かぶ瀬あらんやとい われた
(『朝鮮農業発達史』『同・政策編』小早川九郎編著、友邦協会)。