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対中関係の悪化にいら立つ首相は「一刻も早く対応してくれ」と言い残し、
国連総会出席のため22日にニューヨークへ出発。
しかし、23日には中国からのレアアース(希土類)の対日輸出がストップし、
建設会社の邦人4人の身柄が中国河北省で拘束されたことが発覚。状況は緊迫した。
日本時間の23日深夜、前原氏はニューヨークでクリントン米国務長官と会談し
「日米安全保障条約は尖閣諸島に適用される」との発言を引き出した。
仙谷氏は首相、前原氏と電話協議し、釈放の環境が整ったと判断。
24日未明「近々、釈放する」と少数の関係者に伝えた。
首相も日本時間の24日朝、オバマ米大統領との会談で「冷静にやっている。
近く解決する見通しだ」と釈放を示唆した。
25日未明に処分保留で釈放された船長を中国政府がチャーター機で石垣空港に出迎えた
素早い対応の背景には、 仙谷氏から中国大使館への事前連絡があった。
このころ、菅首相は11月に横浜市で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議をいかに成功させるかを強く意識していた。
日中外交関係者は「中国側から仙谷氏には『APECに胡錦濤国家主席が来ても、
このままでは菅首相との首脳会談はできない』と伝えていた。これが殺し文句だったと聞いた」と振り返る。
結果として、このタイミングでの釈放判断が「中国の圧力に屈した弱腰外交」との批判を浴び、
首相や仙谷氏が「検察の判断」として責任を回避するような発言を繰り返したことが政権批判に拍車をかけた。
菅首相は臨時国会初日の10月1日の所信表明演説で「政策の国会」「熟議の国会」を掲げ、
政策論争を通じて与野党の接点を探ろうとした。 しかし、これ以前に菅政権の国会戦略は崩壊への道を転がり始めていた。
国会は尖閣問題が最大の焦点となり、最後は仙谷氏と、ビデオ流出時の馬淵澄夫国交相の問責決議可決という、
予期せぬ展開で今月3日に閉幕した。尖閣事件の政治判断が混迷を招き、菅政権失速の引き金となった。