10/12/01 05:09:04 eKEtCVdp0
百歩譲って、天皇家を「生徒」、某国会議員を「先生」としよう
丁度、学校における授業風景さながらである
もし、生徒がなければ、先生など要らない
同様に先生が有っても、生徒が無ければ、先生などその存在意義は無い
つまり、誰あってのおかげで「先生」をやらせてもらっているのか、
その初心的原因となる問いかけをスッカリ忘れてしまっては、
「先生」自らその存在意義を否定する言質と成り得るのである
即ち、「墓穴を掘る」、「自らの首を絞める」である
これは、根本的にベースとして、「人間性」が十分にあるかないか
そこに起因する問題であって、「人間性」が未発達な者は、何事においても
他の上に、増してや他の者に対して、指示することはあってはならない
人間性の修行をやり直さねばなるまい
人間性は、人として見做される為の最低限の素養である