09/10/08 20:43:34 WfSPH94r0
私が生まれたのは1986年9月のまだ残暑の厳しいときだった。
聞いた話によると、京都の盆地で生まれたらしい。
3600gで女の子にしては大きかったみたいだ。
陣痛が思ったより重かったらしいが、安産だったようだ。
「親バカ」と名前をつけてもいいような父親。
風邪ひとつひいただけで、病院へ行けだのなんだの言ったり、咳止めシロップを夜中に買いにってくれたりした。
一緒に遊んでもらった記憶がかけらしかないのはなんでだろうか。
そして、おやつには手作りのケーキやパイ、手作りの洋服を作ってくれた、
皆に自慢できるような-母親。
それだけでよかった。
それ以外なにも求めなかった。
"そのときだけ”は。
父親は私「奈津巳」が小学校に入ると職を転々とし始めたみたいだ。
京都では何か職についていたらしいが、すぐに神奈川に転居した。
そして私の知ってる限りでは、神奈川の横浜市で車の部品を作る仕事に就いたらしかった。
横浜市T区では社宅に住んでいて、友達も多かった。
当時は母も父も働いていたので、毎日日が暮れるまで遊んで、家に帰ったら誰もいない。
いわゆる鍵っ子だったが、寂しいという感情はまったく抱かなかった。
そこ以外はいわゆる普通の子供だったのだ。
奈津巳が小学校1年を過ぎたあたりから、
母親は前触れもなく精神病-分裂病-になってしまった。
もしかしたら前触れはあったのかもしれないが、私にはわからない。
後に聞く話によると、母の育った環境はものすごかったらしい。