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【色町のサブカルチャーの軽視と
福原の衰退】
ソープ以外は排除圧力がかかる風潮がなお強いが
元々、福原は単なる遊女屋の集まりではなかった。
公娼制度以前から福原には
無数の料理屋、カフェ(現在の喫茶店)、茶屋、芸子置屋、
それに有料で部屋を貸す席貸(現在のラブホ)などもあり、
第二次世界大戦の終わる頃までは
三宮以上の神戸の中心的な繁華街で、
常に人出で賑わっていたと言う。
我が国の公娼制度は1958年に非合法化されたが、
日本の他の歓楽街同様、福原も生き残り。
ここは今でもセックスクラブ(ソープ)、娼家や
バーで溢れているが、
その人出が現在、三宮に大きく奪われているのは、
「色町のサブカルチャーを
軽視したため」かもしれない。
人見佐知子(2007)。
「神戸・福原遊廓の成立と〈近代公娼制度〉」。
『日本史研究』544, 28-56