09/02/07 16:14:15 iJrEty5dO
>>200に関連して一つ。
昨年末、知り合いのソープ嬢が病でこの世を去りました。私はプライベートで親交がありました。
この方はトルコ時代の74年に業界入りし70年代から80年代後半のバブル時代にかけて人気嬢
として活躍。当時の風俗雑誌にも度々登場した。複数の街で働いたが吉原が一番長かった。
彼女から聞いたトルコ全盛70年代の話は非常に興味深く、今の寂れる一方の業界からすると
ど肝を抜かれ信じがたいものばかり。またこれは戦後の高度経済成長が辿った歴史でもある。
1)彼女が業界入りした74年当時はお茶引きなどという言葉自体周囲で聞いたことがなかった。
2)売れっ子トルコ嬢になると1日分の稼ぎが入った封筒袋をテーブル上に置くと倒れずに立った。
3)彼女は4か月で借金を返済し76年に当時大人気であったアメリカ車を購入。以後、78年79年81年と外車を買い替えた。
4)ホストクラブが大好きでよく通ったが、75年当時から年間1000万円は軽く使っていたと記憶している。
ホストから芸能界入りしたM氏の大ファンであった。5)吉原のオーナーも大金持ちが多く海外に別荘を構えるものもいた。
74年の春、期待の新人ということで先輩トルコ嬢ともどもハワイの別荘に招待された。初の海外旅行。
成田空港はまだ無く、羽田空港からホノルルに出発した。ハワイではスキューバダイビングを楽しんだ。
6)日本食が好きで仕事帰りに銀座の寿司屋によく通った。一回5万円位の高級寿司屋だが、
週に2、3回通うのが普通であった。
以上記したことは当時の売れっ子嬢だと何も特別なケースではなかったそうです。
彼女が最後に在籍していた店のボーイさんもトルコ時代から働いてきた方ですが、
やはり同じような話をしていました。