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この人を分陀利華と名づく。弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し
。難の中の難これに過ぎたるはなし。印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如
来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。南天竺
に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証し
て安楽に生ぜんと。難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。弥
陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩
を報ずべしといえり。天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。修多羅に依っ
て真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を
彰す。功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば
、すなわち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示す
といえり。本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。