10/12/14 05:38:09 qYU0cch60
18禁というのはレーティングとゾーニングの問題だね。
まず、成人指定が付くことによって、そうしたポルノを見たくない人の「見ない自由」を担保することができる。
見たい人は18禁マークがついていても買えるのだから、「見る自由」は侵害されない。
それじゃあ、18歳未満の人間の購入を制限することは、表現の自由の制限に当たるのではないか、
という疑問があってしかるべきだろう。
国家が道徳や倫理の観点から個人の自由に干渉することを、パターナリズムと呼ぶ。
参照のこと>>44>>43>>42>>37>>33
パターナリズムとは?
パターナリズムには、一般に二つの種類があると考えられている。
一つは、自由な判断・行為能力を持つ大人に対するもので、これを強いパターナリズムと呼ぶ。
もう一つは、判断能力に欠く精神病者や子供に対して、大人や社会が干渉をすること。
これを弱いパターナリズムと呼ぶ。
前者は人間の自由への侵害であり、自由主義の原則に照らし合わせる限り肯定されてはならないものだが、
後者に関しては、必ずしも自由主義に反するとはいえない。
自由というのは、自らの意志に基づいて、自らの行為や生活を決定することであるが、
その意志に関する能力そのものが欠如しているとき、その決定を肯定することは、
必ずしも自由な社会に資するとはいえないからだ。
だから例えば、義務教育や就業制限、飲酒や自動車運転など、
未成年の権利は様々な局面で制限されている。
もしもそうした規定がなければ、例えば極端な話、自らの性的身体の体を知らない女児に、
飴玉と引き換えに合意の下で売春をさせる、といったような事態も起こりうる。
結論を言えば、18禁によって性情報から児童を隔離するのは、
性の情報の取捨選択に関わる意志能力がまだ形成されていないため、
代わりに大人や社会が判断してやる、という発想に基づいている。
したがって、判断能力のある大人の購入をも制限する内容規制とは、まったく異なる問題であるといえる。