09/02/01 15:05:40 zISvD3m/0
>>59>>60
価値が「存在すること」は許されている。それが、自由主義。
わたしは、わたしの背後にある自由主義は、「あらゆる価値の存在」を許容することだと思ってる。
例えば、表現というのは、いろんな異なる価値観に基づいて作られるからこそ面白いのであって、
「不愉快である」という嫌悪感や多数者の良識を理由に表現を規制していったら、
表現の多様性は失われて行くし、
最終的にはナチスドイツの頽廃芸術のように、自由―それ自体を破壊してしまう。
社会の大多数の人に嫌悪感を与える行為は禁止する必要があるけど、
どれだけ多数の同意であっても、表現や言論、思想や内心の自由は禁止すべきじゃない。>>59
>価値観に多様性があることと創作物の規制を相対的な価値観で「しか」語ることが出来ない
>こととはどういう関係にあるのかね?
むしろ価値観が固定観念であった場合、「規制論」は起きないと思う。
「私は君の言うことに賛成しない。しかし、君がそれを言う権利は命を賭けても守ろう」
―ヴォルテール
でも、本当に命を賭けられる人は・・・・・・たぶん居ない。
対岸の火事が、自分に火の粉が降りかかってから騒いだって遅いのに、
それに気付かないフリをしている人がどれだけ多いか・・・・・・
わたしは、貴重な日本の“無節操さ”こそ守られるべきだと思うんですよ。