10/10/27 18:52:39 il3oGp0O0
私は共通一次世代です。もっとも、入学したのは私学ですが。
大学に入った頃はニューアカデミズムの波が来ていました。急先鋒は浅田彰。スキゾキッズ。逃走論ですね。
私たちの世代にとって、差別語や自主規制に敏感であることはけして自慢にはならなかったと思います。
問題は、差別語を使うことではなく、差別をすることにあることをよくわかっていました。
マスコミが被差別団体からの抗議に敏感になり、自主規制をし始めたことに違和感を持ったのです。
星飛雄馬が「うちのとうちゃんは日本一の(ピー)だ!」という規制が、一体、なにを生んだというのでしょう?みなしごハッチは今、昆虫物語みつばちハッチに変わりましたが、それがなんだというのでしょう?
言葉の規制は差別の本質を見えなくするにすぎません。差別から目を背け、見えないところに追いやるだけなのです。
当時、筒井康隆の「てんかん」を扱った作品が教科書採用を取り消されたことで、同氏が断筆をもって出版界に抗議するという事件が起きました。
私は、特殊学級という言葉自体に差別はないと思っていますが、調子に乗って使ったことは認めます。
それによって不愉快に思われた第三者が現実にいましたので、そのかたに直接お詫びしました。
翻ってウンチ諸君は、キチガイ(基地外)という言葉を特定個人に向ける差別を、名無しという卑怯な立場から日常的に行っておきながら、他人の言葉狩りをするという、
まったく矛盾した行為をしておられます。それは、貴殿らが受けた教育のせいなのでしょうか?
もしそうだとすれば、それこそ、知能検査をし直して、特別支援学級で学び直していただきたく思います。
余談ですが、私の学生時代のアルバイトは、特殊学級に行くか行かないかギリギリの子たちを対象に、授業の補修を専門に行う家庭教師でした。
発達障害は多くの子供に少しずつ、さまざまな面であるものです。その意味でけして差別ではないことをご承知いただきたいのですが、
ウンチ諸君らの知能の未発達度合いは、明らかに支援を必要とするレベルであると断言しておきます。