10/06/13 02:35:00 JNwirHCx0
江戸の昔、旧吉原遊廓が日本橋人形町から現在の地に移転したのは西暦1657年。新吉原の誕生でした。数百年もの長きに渡り形を変え
ながらも吉原が生き残ってきたのは、過去から現在に至るまで、 数えきれない程多くの人間達、そして社会がこの街を必要としたから
だと思います。姫その他の店関係者は、様々な事情で背に腹はかえられずにこの街に来られた方が大多数でしょう。他方、客だ って私
を含め、年がら年中わざわざ高いお金を払ってこの街に足を運ぶ方々は、様々な悩み・トラウマをかかえながら生きている人が大勢いる
はずです。先に社会的地位云々の話がでてましたが、 地位が高い人=収入が多い人と仮に考えるのであるならば、地位が低いからこの
街に来るとは言えないのではないでしょうか。吉原には月に何度も高級店通いをしている太客が実は今でも結構おら れます。そのよう
な方は月に数十万円もの大金を吉原に落としていることになりますが、彼は地位が低いから遊びに来ているわけではない。日々の辛い
孤独感が吉原通いの発端となった方もおられ るはずです。地位や年齢等の差はそこには無いと私は思います。人生の不条理の縮図です
ね。理屈で単純に割り切れない泥臭い世界がここ吉原にはあります。不特定客との性交渉サービスそれだけ でも大変。しかも常連客に
は幾多の不条理に打ちのめされている人達が数多くいる。彼らへの癒しの提供も姫様達の仕事なのです。ですから厳しい仕事なのは傍ら
から見ていてよく分かります。 姫の仕事をしていれば、時には精神的におかしくなることもあるでしょう。ただそれが貴女達の仕事で
あり使命なのです。貴女達を社会が必要としているのです。充分過ぎるほど社会貢献をしてい ると私は思います。私に出来ることは、
店に通うことだけなのです。・・・