17/03/01 11:44:09.37 CAP_USER.net
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(中略)
なぜ安楽死の法制化は日本で進まない?
2010年に朝日新聞が死生観についての世論調査を行なっているが(2010年11月4日朝刊)、そこでの安楽死についての質問と回答は以下のようになっている。
自分が治る見込みのない末期がんなどの病気になって苦痛に耐えられなくなった場合、投薬などで「安楽死」が選べるとしたら?
選びたい(70%)
選びたくない(22%)
その他(8%)
「安楽死」は現在の日本では法律で認められていません。「安楽死」を法律で認めることに賛成ですか?
賛成(74%)
反対(18%)
その他(8%)
これを見てもわかるように、日本人の7割以上が安楽死の合法化に賛成で、最期は安楽死で逝きたいと思っている。
橋田寿賀子さんはまったく特別ではないのだ。
だとすれば逆に不思議なのは、これほどまでに自殺に寛容で、国民の多くが安楽死を求めている国で、法制化が一向に進まないことのほうだろう。日本とオランダではいったいなにがちがうのだろうか。
『安楽死のできる国』で三井氏も指摘するように、それは「自分の人生を自分で決める」という覚悟だろう。
日本人は、「安楽死が法制化されるなら自分も安楽死したい」と考えるものの、その実現のために周囲から批判されてまでなにかをしようという気はないのだ。
実は日本でも、元衆議院議員・太田典礼氏を中心に発足した日本安楽死協会が1979年に「末期医療の特別措置法案」を作成し、国会への提出を目指したことがある。
だが、この法案は「人権派」や身体障害者団体から「ナチスの優生思想と同じ」と猛烈に批判され、断念せざるを得なくなった。こうして日本の政治で「安楽死」はタブーとなり、
団体は「日本尊厳死協会」と改名して「安らかな死」を求めるリビング・ウィルの普及を目指すようになった。
結局のところ日本人は、死という人生の重要な決断を自分で決めるのではなく、家族や医師という「他人」に任せたいのだ。こうして日本の病院では、家族の合意のもと暗黙の「安楽死」が密かに行なわれるようになる。
国主導の安楽死が進められる前に、国民の意思を示す時期に来ている
だが、こうした曖昧な状況は、それほど長くは続かないだろう。
日本はこれから人類史上未曾有の超高齢化時代を迎え、2020年には人口の3分の1、2050年には約4割を65歳以上が占める。どこの家にも寝たきりや認知症の老人がいるのが当たり前の社会が間違いなくやってくる。
2020年には人口の3分の1を65歳以上が占める
それにともなって、高齢者の医療費が社会保障費を膨張させ、日本の財政を破綻させるというシナリオが現実のものになってきた。
日本経済新聞の連載「砂上の安心
2030年 不都合な未来」(2016年12月19日)によれば、西日本の病院で死亡した80歳の男性の場合、弁膜症の術後の経過が悪く、
感染症を繰り返して透析や胃ろうなどあらゆる医療行為を受けた結果、3年半の医療費は約7400万円。そのうち男性の負担は約190万円で、残りの大半は税金と現役世代の支援金だという。
取材班が全国約1740市区町村の75歳以上の後期高齢者1人当たり医療費を調べたところ、
1人につき100万円以上の医療費を使っている市区町村は14年度分で347に及んだ。
2030年の人口推計などから試算すると、社会保障給付はいまより30兆円増えて170兆円に達し、
後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きいという(2014年度時点の後期高齢者医療費は14.5兆円)。
医療費の動向
数十兆円に及ぶ巨額の支出を賄うことができなければ、いずれ高額の医療費は自己負担とされ、
高齢者の安楽死が国家の主導で進められることになるかもしれない。そのような事態になる前に、国民が自らの意思で「人生の自己決定」の
ルールを決めるべきだろうが、話題になるのはエンディングノートや遺言の書き方、相続を争続にしないための財産分与、
葬儀や墓、戒名を自分で決める方法などの「終活」ばかりだ。
日本社会はずっと、安楽死というやっかいな問題から目を背け、縊死(いし)や墜落死、一酸化炭素中毒死などのむごたらしい
死に方しかできない現実を放置してきた。そして人々はいまも、お上が「まわりの迷惑にならないよう」いかに死ぬかを決めてくれるのを待ち続けているのだろう。