16/08/01 13:26:32.38 CAP_USER.net
URLリンク(www.huffingtonpost.jp)
URLリンク(images.huffingtonpost.com)
(中略)
■8時間労働は適切な長さか?
ここまでの話をまとめよう。
伝統社会の人々は1日2.8~7.6時間しか働いておらず、狩猟採集生活をしていた私たちの祖先も労働時間は同程度だったと推測できる。
彼らの労働時間の中央値は5.9時間で、これがホモ・サピエンスの標準的な労働時間だと考えていいだろう。つまり、私たちは「1日およそ6時間」
の仕事をするようにデザインされている(はずだ)。
ホモ・サピエンスが誕生したのは約20万年前、生まれてから現在までの95%の時間を、私たちは狩猟採集民族として過ごしてきた。
約1万年前に農耕定住生活が始まると、私たちは単調な労働が続く毎日を過ごすようになり、さらには児童労働が生まれた。
現代先進国の住人のような勤勉「すぎる」生活の端緒が開かれた。
約200年前、産業革命の勃興とともに大量の賃金労働者が現れた。生産手段を所有しない彼らは、劣悪な環境で働かざるをえず
労働時間は際限なく延びた。しかし社会運動や労働組合の結成により、労働環境は少しずつ改善された。1886年のメーデーに「8時間労働」
が叫ばれるようになり、20世紀初頭にILOに採択されたことで、これが世界的な標準になった。
繰り返しになるが、「8時間労働」はかなり恣意的に決められた水準だ。1日24時間を三等分するという素朴な発想にもとづいており、
「私たち人類は何時間労働に適した動物なのか」「私たちが生物学的に最高のパフォーマンスを発揮できるのは何時間なのか」といった
視点から導かれた数字ではない。疑う余地は充分だ。
では、私たち人類は何時間労働に適した動物なのか。
くどいようだが、「1日およそ6時間」が新たな候補として浮かび上がる。
経済学の父アダム・スミスは『国富論』のなかで、18世紀末のピン工場の様子を紹介している。素人がピンを作ろうとすれば、
1日に1本も作れれば上出来だろう。ところがピン工場では分業によって、ピンの大量生産に成功した。針金を作る人、針金をまっすぐに伸ばす人、
針金を切る人、針金の片方を尖らせる人……。
スミスによれば、10人の労働者で分業すれば1日に48,000本のピンを製造できるそうだ。これは10人がばらばらにピンを作った場合の240倍の生産性だ[25]。
ピンの製造のような機械的な仕事なら、分業によって生産性を伸ばせる。さらに重要な点は、労働時間と最終的な生産量が比例する。
2時間しか働かなければ2時間分のピンしか作れない。8時間働けば、4倍のピンを生産できるだろう。機械的な仕事では、労働時間が長くなるほど生産量も増える。
しかし、創造的な仕事ではそうはいかない。撮影期間や開発期間が長引いたからといって、映画やゲームが傑作になるとは限らない。
わずかな時間しかかけずに作ったものが、思いがけず大ヒットすることもある。たとえば『残酷な天使のテーゼ』の歌詞は、30分ほどの打ち合わせの後に、
2時間程度で書き上げたものだという[26][27]。
仕事の内容から「機械的な部分」が減り、「創造的な部分」が増えるほど、労働時間と最終的な生産量とは無関係になっていく。機械的な作業なら、
職場の机に齧り付いてひたすら手を動かしたほうがいいだろう。しかし、アイディアの重要性が高い仕事ではそうはいかない。
いいアイディアは、往々にして、公園を散歩している最中とか、湯船に浸かったときとか、トイレに座って天井を見上げたときに降りてくるものだ。
アイディアの量と質は、労働時間とはまったく関係ないのだ。
そして現代の日本では、機械的な作業は猛烈な勢いで減っている。Excelのマクロを組めば、それまで1日かけていた作業が1秒で終わるようになるかもしれない。
書類の作成や封筒の宛名書きの仕事は、インターネットを利用すれば不要になるかもしれない。今後、人工知能が発達すれば、
機械的な作業はますます減り、私たちはますます創造的な仕事に従事せざるをえなくなる。
このような時代に、8時間労働が適しているとは思えない。なんとなれば、これは工業化が進んでいたころに
─「機械的な仕事」が最盛期だったころに─作りだされた枠組みだからだ。情報化の進む現代には、それに即した労働時間を設定すべきだろう。
(後略)