16/02/21 15:22:32.42 CAP_USER.net
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昔は優秀で勉強熱心な人を「末は博士か大臣か」と評した。現在はいずれの肩書きも神通力を落としている。
特に技術者については、博士号の取得後、期間の限られた研究に従事する博士研究員(Postdoctoral Fellow、ポスドク)
が増え、大学の教員にもなれず企業への就職もできないという問題がクローズアップされている。
これは、1995年に科学技術立国を目指す法律が施行されて博士号が量産される一方で、そ
の後の少子高齢化による大学のポスト不足と、景気低迷に伴う企業の研究開発費削減によりミスマッチが拡大したためだ。
しかし、嘆いていても始まらない。当事者3人の生き様から、ポスドク問題の実態と解決策を考える。
「大学には余裕も意思もない」
「40代になってもポスドクのままではいたくない。そろそろ企業に就職しなくては」と語るのは、
東京大学柏キャンパスの客員共同研究員、Aさん(32)。別の大学の応用物理工学科在学中に核融合を原子力発電
に生かす研究に携わり、卒業後は東京に本社を置く計測装置のメーカーに就職。しかし、「エネルギーを作るのは面白い」
との思いから、1年で辞めて東大の大学院に入った。
奨学金を受けて研究を続け、2014年6月に博士号を取得。その後、九州の大学から共同研究に誘われたが、
予算がつかず話が流れた。昨年3月には「大学側には研究資金やポストを増やす余裕がなく、増やそうともしていない」
と実感して大学に残るのを断念。就職先が巨大企業に限られる原子力部門にはこだわらず、計測関連やプログラミング
などの業界に絞って働き口を探してきた。
現在、1日の大半は就職活動に費やしている。応募した企業数は「覚えていない」が、面接を受けただけで20社近くに上る。
企業の担当者や転職エージェントには「アカデミックに寄りすぎている」と言われることが多いという。
Aさんと話していると、か細いような印象を受けるのだが、これは左耳が難聴で慎重な受け答えをしているからだという。
全身から誠実さや礼儀正しさが滲み出ており、就職に苦労をしている、という話はにわかには信じられない。
チーム内での連携作業は苦手かもしれないが、責任感を持って1人で研究の成果を出すには十分と見受けられた。
しかし、大企業への就職は厳しいようだ。「中小企業からは好感触を得ており、二次面接に進んでいるところもある」と話してくれた。
現在、東大からの給与支給はない。独身であり、埼玉県北部の実家で暮らし続け就職時代の貯金もあるので、
これまでのところ、生活はさほど厳しくはないという。だが、40代になってもポスドクをして生活が不安定な人が
周囲に多数いるのを見ていると、さすがに就職をしなければ、と思ったようだ。「定年まで技術者、フェローという感じで働いていきたい」。
ポスドク問題についてはどう考えているのだろうか。「大学院を出てスムーズに助教になる人もいる。
自分には運と能力が無かったのだろうけど、国がじゃんじゃん金をつぎ込んでくれれば、研究者としてやっていけたのではと思う」。
大学での研究生活に後ろ髪をひかれている印象を受けた。
薬剤師には飽き足らず
上智大学理工学部の博士課程1年のBさんは、あごに蓄えたヒゲがたくましい27歳で、福島県双葉町出身。
県内の大学在学中に東日本大震災を経験した。薬学を専攻して実験を繰り返すうちに、DNAなどの核酸を使って
副作用の少ない抗生物質を開発することに強い関心を持ち、核酸の構造解析を専門に研究できる場所を探して
2013年4月に上智大の大学院に入った。同級生の大半は薬剤師になり、大学院に進学したのはBさんだけだという
Bさんは都内で一人暮らし。「研究は大変で論文をひたすら書くのは辛いが、自分で考えていろいろやって成果が出ると嬉しい。
核酸の機能を利用した医薬品には現在、注目され始めており、やりがいがある」と意欲的だ。
しかし、今後の展望は厳しい。「誰が見ても優秀な人であっても、大学で教員になるには3年程度かけて50校くらいを回り、
ようやく1つ引っかかるのが実情。この世界で自分は本当にやっていけるのか」と不安を隠さない。