06/05/09 07:02:37 oAbDr/tY
所員●「所員」Profile
真道寺軍(しんどうじ・ぐん)
19XX年、京都生まれ。
1992年、某美少女漫画家の手による、「可愛い男のコのエッチな漫画」に感銘を受け、「ショタ」に開眼。やや先走った「ファンレター」を送りつける。
が、業界でも有名な「人格者」のその作家のお気に召さなかったらしく、「お前のコトバ使いが気に入らない」とのご丁寧なお返事をいただく。以降、
漫画や雑誌の雑文を使っての、しんどーぢへのストーキングは五年以上続いた。
1993年、少年愛者たちとの交友が始まる。二年ほどの付き合いの後、「少年とのSEX」に関しての彼らの倫理観との齟齬に、関係は決裂する。
1994年、やおい雑誌の新人賞で小説家デビュー。半年後、編プロと出版社のゴタゴタのため、連載企画として書かされた三本の小説を抱えたまま、
ポイ棄てにされる。
1995年、某ショタオンリー即売会(笑)にスタッフとして参加。開催後の集会で、メインスタッフ一同の男性によるショタ作品はクズである、との見解に
反論、彼らと離反。
1995年、同人誌サークル「少年療法試論」立ち上げ。
1996年、別な出版社から商業誌復帰。しかしよほど人気がなかったらしく、書かされた「次回作」、何度も改訂を繰り返した「次々回作」をあっさり
没られたまま、またもポイ棄て。
1997年、某メンズリブ団体の活動の一環として「ショタ論争」を企画。「何故へテロ男性がショタにハマるのか?」を語ろうとするも、「ゲイ」を自称する
参加者の少年とのセックスを肯定しようとする発言にメンバーたちが首肯し出したコトに呆れ果て、同団体を退会。
1997年、畢生の大作のつもりでショタ評論誌、『このショタがすごい!』を自費出版。
1998年、上の一週間後、最も信頼していた書き手のひとりが、凡てを否定して一方的に連絡を絶つ。以降も同誌はあらゆるメディアから見事なまでの
「シカト」を喰らい、「この世に存在しなかった本」として処理されるに至る。後に残ったのは失望、無力感、諦念、そして多額の借金と大量の在庫(←在庫はおかげさまで、ほぼ掃けました)。
1999年、HP「童子力研究所」開設。
専攻:ウソ男性学批判、ウソジェンダー論シカト、ウソセクシュアリティ論笑い、ウソおたく批判否定、ウソショタ嫌がり。後、特撮ヒーロー研究。