11/02/04 06:59:46 0euhnONW0
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大阪の白の襟カバーは、中学にはかなりありますが、愛知ほどではありません。
高校では、公立ではゼロ、私立のプール1校のみとなりました。
さて、白の襟カバーは、たいへんに古くからあるもので、京都の平安女学院が日本最初の
女学生のセーラー服はうちだと主張した写真には、白の襟カバーが写っています。
大阪のプール女学院も、おそらく大阪の女学校で最初にセーラー服を採用した学校と
思われますので、たぶんそのころからのものかと想像しています。
白い襟カバーが、なぜ山口、大阪、愛知ととびとびになっているのでしょうね。
さて、大阪では、大正12年に清水谷(府立第一高等女学校)が公立として、
大阪で最初にセーラー服を制服としたときには、青い襟カバーを採用しました。
これ以降、多くの大阪の公立女学校で青系の襟カバーが使われました。
戦後、共学の府立高校になり、青い襟カバーも、いまは、清水谷、夕陽丘、泉陽の3校を
残すだけになりましたが、中学ではまだまだ多くの青系エリカバーが残っています。
大阪には、白の襟カバーも多いですが、青のも同じくらいあって、それはよろしゅうございます。