エロパロでエロネタ書いて叩かれた 原稿用紙5枚目at EROPARO
エロパロでエロネタ書いて叩かれた 原稿用紙5枚目 - 暇つぶし2ch76:名無しさん@ピンキー
11/10/25 00:08:21.35 Oblxpqj0
>>69
「ペルソナ3」は未プレイ

1.人称について
(1)
>人称が変わる合図は、一文字空けて「彼は」「少年は」と文頭に書き加えました。
まず、この文章の意味がよく分からない。
「一文字空けて」とは、どこのこと? 行頭で一字下がってるところのこと?

もしそうだとすると、>>70第2パラグラフの9行目
>彼はそんなことを心の中で言いながら、通行人から挙動不審だと思われないように普通に振舞う。
という文章がそれにあたるけど、>>70の中で人称が切り替わっているところはない。
>>70は一貫して三人称で書かれている。

この文章の1行前、>>70第2パラグラフの8行目の
>ああ、美鶴本人も魅力的だから、あの時のブーツは相乗効果で美しかったな。
この一文は「彼」のモノローグだが、三人称の小説でも自由間接話法によって人物の内心をそのまま書くことができるので、
ここで人称が変わっているとはみなさない。

以上のことは「お前に言われんでも知っとるわバーカ」だったら申し訳ないのだが、
>>69の文章からは作者が人称についてどのような認識をもっているのかよく分からなかったので、念のために書いた。

(2)
人称が変わっているのは>>71の7行目からと>>72冒頭からだが、
切り替わるタイミング云々の前に、小説を書くときは原則人称は変えない。
もちろん例外はあるが、その場合には複数の人称を使うことの必然性が必要になる。
そういう目で見ると、このSSからは一人称と三人称を混ぜて使う必然性が感じられなかった。

一人称と三人称をひとつの小説で同時に使うという手法を使って書かれている小説は沢山あって、
たとえば、綾辻行人『水車館の殺人』やローレンス・ブロック『すべて死にゆく』、オルガ・トカルチェク『昼の家、夜の家』など、
大勢のプロ作家がやっている手法だから、この形式自体が小説の書き方に反しているわけじゃない。

けれど、一人称と三人称が混在している形式というのは、
一人称では描けない(そこに語り手がいない)場面を描くためにとか、叙述トリックなどの仕掛けがある場合、
様々な声に語らせることによってポリフォニックな効果を出す場合など、それ以外の方法では達成不可能な時に使われることが多い。
「一人称では描けない場面」というのも、三人称で視点を変える、一人称で章ごとに語り手を変えるなど、
それ以外の方法でじゅうぶん達成可能な場合がほとんどなので、それを選ばずあえて人称を混在させる意味が要求される。
つまり、「この形式じゃないと絶対駄目なんです!」という必然性が必要。

翻ってこのSSを見るに、少なくともここに投下された分からは
一人称と三人称を混ぜる方法でしか表現できない何かは感じられなかった。

(3)
また、人称や視点をころころ変えられると読者はとても読みにくい。
なぜかというと、せっかく固定された視点で集中して読んでいたのに、その集中が途切れてしまうから。
なので、三人称で視点を変えることはよくあるが、その場合もある程度まとまった分量をひとつの視点で書かないと読者は混乱する。
一人称で語り手を変える時についても同様で、だから多くの小説は章ごとに語り手を変えるという手法をとっている。

人称の変化は、視点の変化以上に読者への負担となる。
だから、どうしても一人称と三人称の混在をやりたかったとしても、このSSのようにころころ切り替えるのはいただけない。
ひとつの人称で語られる部分が短すぎる。
最低でも一章分は人称を固定すべき。


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