【俺の妹】伏見つかさエロパロ20【十三番目のねこシス】at EROPARO
【俺の妹】伏見つかさエロパロ20【十三番目のねこシス】 - 暇つぶし2ch500:名無しさん@ピンキー
11/07/13 18:02:27.35 ebOGfB7L
とあるとめだかボックスのクロスはおもしろかった
クロスだからこそ、キャラらしさとか互いの作品を尊重しあうとかが必要なんだと思った

製作速報VIPが落ちてて毎日楽しみにしている安価SSが見れない・・・



501:名無しさん@ピンキー
11/07/13 18:10:36.96 XJxIVZu1
製速でSS書いてる馬鹿がいんのかよ

502: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】
11/07/13 18:15:54.71 nVZTLwlU
なんでバカにするのか理解できん
どこで書こうと個人の勝手だろう

503:名無しさん@ピンキー
11/07/13 23:06:43.50 qUI87DA9
>>499
そんなもの誰も望まん!!

504:名無しさん@ピンキー
11/07/13 23:57:38.11 MelJxNeq
そしてオチは誠死ね

505:名無しさん@ピンキー
11/07/14 01:31:02.06 WJpmVK+n
たった一人の書き手が不在なだけで、
こうも糞スレになってしまうとわ・・・・・

506:名無しさん@ピンキー
11/07/14 01:40:27.63 Oqch8hde
そのたった一人の書き手とやらがさんざん引っ掻き回した結果がこの廃墟だがな‥‥

507:名無しさん@ピンキー
11/07/14 01:42:04.24 H2JTEfpT
じゃあ俺が書いてやるよ
3日で書いたる
首を長くして待っとけ

508:名無しさん@ピンキー
11/07/14 02:41:08.11 jqpOBrB4
8巻出てモチベ保てなくなったってのもあるだろ

509:名無しさん@ピンキー
11/07/14 04:43:10.89 to4GF03v
8巻で京介が事実上の賢者化宣言しちゃったから、あまり原作意識しすぎると
桐乃以外のキャラと、どう絡めていいかわからないってのは、ある
二次創作と割り切って、原作のことを忘れれば良いのだけど

510:名無しさん@ピンキー
11/07/14 06:24:27.99 2nmDJKvC
SSVIPまだ見れない…

511:名無しさん@ピンキー
11/07/14 06:46:12.17 h9h1dZ28
鯖代未納で止められるのはあそこではよくあること

512:名無しさん@ピンキー
11/07/14 06:58:31.17 uVwiZoGa
製作速報なんかで書いてるアホのはどうでもいいけど、
SS速報も同じ鯖なんだよな。ここ落ちるとなげーから困る。

513:名無しさん@ピンキー
11/07/14 07:10:02.34 mizAP8lG
>>509
ふるいにかけられた感じ
好きだ→付き合おう
って小ネタレベルの安易な展開が使えず、原作を表現しようとするならより微妙な距離感の描写が求められる。


514:名無しさん@ピンキー
11/07/14 09:59:54.48 6IYlG79m
悪貨は良貨を駆逐するとはよく言ったものだ

早くSS速報直らんかな…

515:名無しさん@ピンキー
11/07/14 11:34:53.56 jqpOBrB4
>>513
きりりん以外は止められちゃったからな
スレも妄想爆発してるのきりりんスレぐらいだし後はお葬式ムードか

516:名無しさん@ピンキー
11/07/14 11:45:39.48 eoYOMTSi
なし崩し的に~というパターンだと、それこそ桐乃が最有力だしなぁ。
無理なく状況を変化させようと思うなら、相当切り込んだイベントが必要だ。

状況を変化させないまま、いろんなものに縛られつつもなんとなく心が触れ合っている図なら書けるかもわからんが
それはそれで需要はあるんだろうが、ここの空気じゃないな。

517:名無しさん@ピンキー
11/07/14 15:42:48.40 eal7TcCg
Vip・・・

518:名無しさん@ピンキー
11/07/14 22:26:19.91 eoptj8BU
保管庫にある、俺の妹がこんなにエロ可愛いわけがないってもうあのあとは投稿なかったんでしょうか?

519:名無しさん@ピンキー
11/07/14 22:36:21.60 9WMXMAjp
エロパロで未完はよくあること

520:名無しさん@ピンキー
11/07/14 22:51:42.94 90wkXXSJ
思いつき短編投下します。
・18レス
・ギャグ、ややエロ
・桐乃視点
・京介×黒猫(の姿をした桐乃)
・キャラ崩壊、ヤンデレ注意

521:マインドスワップ 1/18
11/07/14 22:54:04.30 90wkXXSJ
 ひなちゃんもたまちゃんも姉の急変に戸惑いを見せたけど、それははじめのうちだけで、二
三日も経つとなじんでしまった。あいつの両親も、そんなに訝りはしなかった。ひなちゃんが
手にした妹空とあいつの姿をしたあたしとを見比べて、「またなんだ……」とため息を吐いて
いた。この家では長女の乱心は珍しくないのだろう。夏休みのおかげで学校でへまをやらかす
心配もなかった。ときどき携帯のほうに、せなちーから「部活に来てください!」とメールや
電話が来たくらいで、それも体調不良を装って対処できた。
 高坂桐乃―あたしの元の体には、やはりというべきか、あいつの心が入っていた。なぜそ
れを知ったかというと、体が入れ替わった当日、あいつに呼び出されたからだ。


 ひとけのない公園の真ん中で、自分は黒猫だ、朝目ざめたら高坂桐乃になっていた、そう告
白する高坂桐乃に向かってあたしは、
「何を寝ぼけているのかしら? とうとうビッチ菌に脳をやられてしまったのではなくて? 
まあたしかに、スイーツな脳髄には虫がたかりやすいものね」
 そう言って、あいつ自身のものまねで誤魔化した。
 あいつはあたしの顔で青ざめ、消え入るようにうなだれると、
「そう。すまなかったわね……ううん。ごめん、黒猫」とわざわざあたしの口調で言い直し、
「あたし、なんだか頭痛が痛いから、今日は帰るね」
「そう……お大事に」
 公園の門に隠れて、あいつの背が見えなくなった。とたんに足が震えだした。がくがくと止
まらず、立っていられなくなった。
 あたしは、こんなことができてしまう。できて、しまったのだ。

 ベンチに腰掛けて震えの静まるのを待っていると携帯が鳴った。メールのタイトルは“桐乃
のことなんだが……”で、そして差出人は“高坂京介”―
 “黒猫”の恋人で、“あたし”の兄貴―
 ―ううん、それは違う。兄貴はもう、あいつの恋人なんかじゃない。
 “京介”は今、“あたしの恋人”なのだから……


 そうして、あたしとあいつが入れ替わって、一週間が過ぎていた。


522:マインドスワップ 2/18
11/07/14 22:55:22.03 90wkXXSJ
「好きっ! 好きなのっ! 好きなの京介っ!」
 濡れそぼった京介の首筋に顔を埋めながら、あたしは切れ切れに叫ぶ。
「あなたのことがっ、誰よりも何よりもっ! 京介―!」
 なんどもなんどもキスをする。首筋、顎、鎖骨、肩、唇と、キスの雨を降らす。―痕にな
るように、あたしの証をつけるように。
「好き。好きよ。あなたのことが、好き……あたし、あんたのことが好き」
 なんどもなんどもかきむしる。背の皮が擦りむけ、爪が欠け、指先に鮮血を絡ませて、かき
抱き、突き立て、引っ掻く。―猫が毛玉をいたぶるように、あたしの想いを刻むように。
「もう誰にも渡さない―誰のものにもならないでよ! もういなくなっちゃやなの! ずっ
とそばにいてよ! 私だけのものでいてよ! あたしもあんただけのものになるから!」
 もう汗なのか唾液なのかも、どちらが組み敷き組み敷かれているかさえもわからない。あた
しと京介は、からだじゅうどろどろにしてむさぼり合う。からだの芯はとっくのむかしに開い
てしまい、さんざんにかき回されかき出され、蕩けきっている。ばかになってる。なかで絶え
ずぐねぐねと形を変えるものが、あたしなのか京介なのか区別つかない。
 肌の打ち付くたびにほのかな温もりが広がり、時折一瞬、背筋を駆け上がる途方もない寒気
に打ち消され、再びはじめからやり直される。胸の奥がひどく切なかった。灼けつくようだっ
た。
 京介の肌は火照りでばら色に変わり、汗ばんだ額には乱れた前が張り付いていた。唾にまみ
れた唇は、汗の筋と一緒にてらてらと光っていた。
「好きって言って。ねえ京介好きって言ってよねえ! 私のことが好きだって、ん……キス、
するの……」
 唇がきらきらと橋を渡しながらはなれると、あたしは兄貴の鎖骨に頬をすり寄せて、湿った
肌の香を肺いっぱいに吸い込んだ。思わず頭がくらりとする。ぱんつなんかとは比べものにな
らない、なまのにおいだ。
「好き……だ」
 荒い息をしながら、京介が言った。
「俺も好きだ。好きなんだ。愛してる。黒ね―」
 好きだと言ってもらえただけでよかった。あたしは京介の口に指を差し入れていた。
「ふろへほ?」
 と、あっけにとられた京介をよそに、あたしは開いている方の手で京介の手をつかみ、自分
の口にもっていく。


523:マインドスワップ 3/18
11/07/14 22:57:25.11 90wkXXSJ
 そしていつも京介自身にしているように、京介の指先をちろりと舌先で撫でてから、口をす
ぼめ、丸めた舌で包み込むようにして吸い込んだ。
 ちゅっぱちゅっぱという水音がしだいに、じゅぼじゅぼという下卑た音に変わる。唇の端か
ら唾液が伝い降りているのが自分でもわかる。あたしは今、ひどくみだらな真似をしている。
人間の分際で、猫よりも卑しかった。
 京介はあたしの意図を察したのか、くすぐったそうにしつつも、いたずらっ子みたくにやり
と笑った。それからあたしの差し出したままの手首をがっちりつかんで口を離し、赤黒く染ま
った私の爪の隙間を、舌先でこじ開けようとするように舐めはじめた。京介は舌だけで血と皮
の塊をこそげ落とし、落ちない塊は地道に唾液で溶かしながら、私の指を一本一本、丹念に洗
っていく。
 思ったよりくすぐったいけど、手首の震えを負けん気でこらえているうちに、だんだんとむ
ず痒いのが病み付いてくる。のみならず、京介の指のほうも私の口内を辱めているように感じ
られてくる。
 これは、もうひとつの交合だった。あたしと京介は、下と上の両方で、交わっていた。
 いつしかあたしたちはお互いの手首から手をはなし、させるがまま、なすがままになってい
った。あらかた舐めて口から離すと、もう一方の手を差し出し合い、また同じように指の交合
を再開させる。
 あたしはきれいにしてもらった手を京介の背中に回し、京介もあたしの唾でふやけた手で、
私の腰を抱き寄せた。胸がこすれて、新たな刺激が加わった。京介の腰がかすかに震える。あ
たしがみだらなせいだった。
 私のほうがハミガキするように口腔全体で指をしゃぶるのにたいして、京介はというとぴち
ゃぴちゃと音を立てて舐め回す。ちょっとおもしろい対照といえた。これでは、どっちが猫だ
というのだろう。
―いや、それは違う。
 と、どこかで冷たい声が響き渡った。
―“あたし”は“私”じゃない。“あたし”は、“あたし”なのだ。
 聞きたくはなかった。聞こえないふりをした。
「ひょうふへ」
 恋人の名を呼びながら、私は顔を近寄せた。唇と唇で指を押し挟み、舌と指をぐちゃぐちゃ
に絡ませた。絡んだまま、互いのどこに舌を這わせているのかわからないまま、顔を寄せ合い、
ぴんと伸びた舌先を踊らせる。


524:マインドスワップ 4/18
11/07/14 22:58:57.16 90wkXXSJ
 私はそのうち、指を押し退けて京介の舌に吸い付いていた。それはもはやキスとも呼べない
しろもので、格好も気配りも忘れ去り、まるで渇きを癒やそうとするかのようにじゅるじゅる
と音を鳴らして唾をすすり、鼻を幾度もぶつけ合い、相手の舌を飲み込んでしまおうとしてい
る。濡れた指先がすうすうした。それ以外の感覚はなくなっていた。口づけし、ひとつになっ
ていることこそが自然な状態だった。感覚のないのがなくなるのがいやだった。

 けれど京介は残酷だった。腰の律動を再開したのもつかの間、京介は血走った目で私から彼
自身を引き抜き、私の体をうつむけにした。そして、後ろから一息に貫いた。
「か、はっ……!」
 鈍痛とともに襲い来る戦慄で、私はひどくだらしない顔になっていたと思う。無声の悲鳴で
口をぱくつかせたと思えば、顰めた眉は一瞬で弛みきり、犬のように舌を垂らして、からだじ
ゅうぐったりとなってしまった。
 京介はそんな私の腰を押さえこんで容赦なく前後に動き出す。私は目を見開いて、ベッドに
手足を投げ出したまま、人形のようにがくがくと揺れる。
 まばたきできずに涙があふれる。息もできない。意識がどんどん霞んでいく。
 そしてぼんやりと―
「……猫……黒猫……黒猫っ!」
 そんな声が聞こえた気がして、
「嫌ぁ!」
 あたしは叫んでいた。
 気がつけば、垂れた黒髪が視界を覆っている。京介が背後から手首を引っ張り、あたしは無
理に上半身を反らされていた。つつましやかな乳房が宙づりで揺れているのがわかった。深く
深くからだを串刺しにされる都度、意識が飛んでしまいそうになる。
 意識は途切れ途切れでも、あたしのからだは叫ばずにはいられなかった。
「嫌! 嫌なの! 嫌、嫌ぁっ!」
「なにが嫌なんだっ! 黒猫っ! なにが嫌なのか言って見ろよ!」
「嫌っ……イヤイヤイヤ。違うの……違うのぉ!」
「どこが違うんだ! こんなにアヘっといてなにが違うってんだ黒猫っ!」
「そうじゃ……イヤぁあっ―!」
「黒猫っ黒猫っ黒猫っ黒猫っ……」
 ―あたしはあいつじゃない。
 その言葉が、どうしても言えなかった。もう声すら出ない。意識が途絶える。


525:マインドスワップ 5/18
11/07/14 23:00:50.72 90wkXXSJ
「ひっ……!」
 あたしの腰を抱えたまま、兄貴が立ちあがっていた。私の体はさらなる重力を引き受けるこ
とになり、より強く、より深く貫かれる。
「好きだ黒猫! 最高だ黒猫! もうぜったいに離しゃしねぇ!」
 ―京介はもう離さないと言ってくれた。
 前のめりで髪を揺らすあたしの耳元で、そうだれかがささやいた。
 不意に髪がかき上げられる。
「このきれいな黒髪ロングもっ! ここのしまりもっ! おっぱいだってっ……最高だ!」
 京介は膝をつき、最奥ばかりを執拗につつきながら、両手であたしの胸を揉みくちゃにした。
 ささやきは続く。
 ―“私”は最高だと、京介は言ってくれる。
「あやせもっ! 麻奈実もっ! 沙織もいらないっ! おまえだけが……俺にはおまえだけい
てくれれば……! それでっ、いいっ!」
 ―そう。“私”だけいれば、京介は仕合わせなんだ。だから―
「黒猫……黒猫ぉおおおお!」
 ―“あたし”が“私”になればいい。

 ぞくぞくと快感が走り抜ける。ひときわ大きな快楽の波がすべてを押し流す。迷いも、慎み
も、遺恨も、後ろめたさも、あたしの残滓も、その一切を洗い清めた。
 そうして絶頂の間際、引き抜かれる感覚を手繰り寄せ、
「く、黒猫?」
 私はすかさず回した足で彼の腰を挟んだ。“私”の体は柔らかいのだから、このくらいは容
易いものだ。
「出して」
「お、おい」
「そのまま出してちょうだい」
「で、でも俺たちまだ……」
「大丈夫よ。大丈夫だから。それに―」
 私は振り向いて、彼のかたちを確かめるように、下腹を撫でた。
「あなたの子なら、産んでもいいわ」
「は、は……」
 京介の表情が変わる。やけっぱちめいた半笑いを浮かべたのは一瞬で、瞬く間に彼自身が押
し入った。
「くろねこ、くろねこ、くろね……」
 もはや声にならない。京介は理性の残り滓すらかなぐり捨てて、一心不乱に私を苛む。
「そう! そうよ! そのまま孕ませて! 子宮にザーメン味覚えさせてぇ!」
「はぁっははぁ! 孕め、孕めよこの! 孕め黒猫! 特濃チンポミルク種付けすっから! 
もう学校行けなくしてやっからな! この、このこのこのこの! 黒猫っ、黒猫! 黒猫ぉお
っ……あつっ―」
「あ、は……!? 出てる……? 出てるの……? ああ、これが、膣内、射……精……」


526:マインドスワップ 6/18
11/07/14 23:03:07.82 90wkXXSJ
 幾重もの絶頂で薄れ行く意識のなか―
「きり、の……」
 京介の声で幻聴が聞こえた。おそらくそれは、“私”による“あたし”への惜別の言葉だっ
たのだろう。


 京介の寝言で目がさめた。
「うぅ……違う、違うんだ……桐乃……」
 夢のなかでも妹に悩まされているらしい。私は少々忌々しくなって彼の頬をつねった。
「……ご、誤解だ。黒猫……おまえは俺の……」
 起きてはくれなかったけど、夢の内容は変えられた。
 ベッドから降りると、足の間から冷たいものが伝い降りた。まだなにか挟まっているような
心地で歩きにくい。私は用意してあった絆創膏で蓋をしてから、ティッシュで股を拭った。脱
ぎ散らかされた服のなかから下着と白のワンピースをとり、それからついでにトランクスにも
手を伸ばす。
「っふ……これであと十年は戦えるわね」
 なんて独り言をつぶやきながら、きちんと畳んでジップロックにしまう。
 ワンピースが汚れなくてよかった。これが着られなくなってしまったら、残るは黒いドレス
だけなのだから。白いドレスもあるにはあるのだけれど、あれはこの前、京介ががんばりすぎ
て翼が外れてしまい、未だに直せていないのだ。
 髪をかき分けながら京介の耳に口元を寄せ、
「また明日ね、京介」
 うなされる彼の頬に接吻してから部屋を出た。


 壁の薄いことは、誰よりもよく知っている。京介の部屋のドアを閉めてすぐ、私はとなりの
ドアノブに手をかけた。
 鍵はかかっていなかった。高坂桐乃の部屋には誰もいなかった。
 階段のところで立ちくらみがした。私は桐乃と違って体力がないのだった。壁に寄りかかっ
て下腹に触れる。
 あれからなんど出されたのだろう。三度目からあとは覚えていない。新たな生命が胎動して
いるようにさえ錯覚された。私が私の意志で育んだこれは、まぎれもなく私と京介のものなの
だ。
 私はもう、一人じゃない。
 だから私は、あいつと対面することだってできる。

 案の定、高坂桐乃は一階のリビングに居た。カーテンを閉め切って部屋じゅう暗いなかで、
テレビのまえにちょこなんと正座し、大画面に映したメルルに見入っていた。いや、ただもう
見るともなく見ているだけだった。私が扉を開けた瞬間、びくっと肩が跳ねたのだから。
「帰ってきていたのね。けれど、なぜあなたはいつも顔を出さないのかしら。らしくないわ」


527:マインドスワップ 7/18
11/07/14 23:06:29.92 90wkXXSJ
 私がそう言い放ったとたん、桐乃がすさまじい形相で振り向いた。薄暗くなければ正視に耐
えないほどすごかった。化粧をしていなくとも十二分に美しい顔だちが、これほどまでに変貌
する。それだけの仕打ちを、五更瑠璃は高坂桐乃にしたのだった。していたのだった。
 そう、だからこそ、私は言葉を継ぐことができる。
「いっしょに遊べばいいのに……私たち、友達でしょう?」
「とも……だち……?」
「ええ、そうよ。ぼっちの私には、あなたと沙織くらいしか、ちゃんとした友達がいないのよ」
 桐乃は私の言葉に何か思うところがあったのか、表情をいくぶんか和らげて、そっぽを向い
た。
 そして、本来の高坂桐乃の調子でぼやき始めた。
「と、友達が妙な男に引っかかってるんだから、さすがのあたしもどん引きするっつーの。ぶ
っちゃけるとさ、キモいからもう学校で話しかけんなって感じ?」
「京介は妙な男じゃないわ」
「はぁ? あいつってちょー変態じゃん。ちょっと聞いてよ。こないだなんかあのシスコン、
あ、あたしにね、『おっぱいもませろ』とか言ってきたんだよ? まじやばくない? 妹にセ
クハラするなんて、キモすぎ。あいつの変態顔なんか、もう二度と見たくないし」
「京介はそんなこと言わない」
「うっそだー。そんなこと言ってあんたもあいつにセクハラされてんでしょ? 会うたんびに
眼鏡かけろとか脅されてるんでしょ?」
「眼鏡なんて、絶対にかけないわ。彼は、ありのままの私でいいと言ってくれるもの」
「のろけ乙。あーキモキモ。まじキモ。てゆーかあいつの地味顔自体がもう変態ってか犯罪者
予備軍って感じだよねー。普通さ、あの顔であんなこと言われたらどん引きするっつーの」
「だから、あなたの言うあんなこともこんなことも、京介は言わないわ。あなたこそ、妹ゲー
のやり過ぎで脳が腐ってしまったのではないかしら。大丈夫? 二次元と三次元の区別はつく?」
「うわうっざ。あんた最近だんだん信者じみてない? 京介教に染まっちゃってない?」
「私は彼の恋人だもの。彼の良いところも悪いところも、彼の本質はあなたより何倍も何十倍
も深く、多く知っているわ。あなたこそ、外野の分際でうだうだとわめかないでくれるかしら」
「はいはい。触らぬヤンデレ祟りなしってわけね」


528:マインドスワップ 8/18
11/07/14 23:08:25.48 90wkXXSJ
 桐乃はあきれたように言いながら、手をひらひらと振ってテレビに向き直り、リモコンをい
じりだした。
「さよなら。桐乃」
 私は別れを告げて家を出た。


 帰る途中、あやせに出くわした。
「あ、あなたはっ……!」
 歯ぎしりというものは、実際に聞こえてくるものらしい。ぎぎぎ……と、弓を引き絞るよう
ですごかった。今日見た桐乃もすさまじいが、あやせの顔はよりいっそうものすごい。超怖い
ってものじゃない。視線で射殺すというレベルすら超越している。思わず彼女の手に目が行っ
た。運のいいことに、ナイフは手にしていないようだ。
「あなたのせいで……! 桐乃と、お兄さんは……!」
 私とはちゃんとした面識がないはずなのに、あやせはありったけの憎悪を私にあびせてくる。
どこで私の顔を見知ったのかは、まああのあやせならいくらでもやりようがあるだろう。けれ
ど、そもそもその敵意自体がどうも理不尽なように思われた。
 あやせの望みは桐乃から京介を引き離すことなのだから、京介の恋人である私に殺意を向け
るのは筋違いだ。むしろ応援してもらいたい。よって、私が真正面から相手をしてやる必要も
ない。
「あなた……誰?」
「くぅっ」
 さすがのあやせにも辻斬りめいた行為をためらうだけの分別はあるらしい。悔しげに「ぐぬ
ぬ……」と歯噛みし、
「お、覚えておきなさい! いつかきっと桐乃を元に戻して、お兄さんを取り返しますからね!」
 捨て台詞を吐いて駆け去った。わけがわからない。第三者が見れば、ほとんど変質者みたい
なものだろう。あやせは夏の暑さにやられてしまったのかもしれない。私もただでさえ肌が白
いのだから、日光には気をつけようと思う。



 花火大会の日がやってきた。
 私の浴衣姿を、京介は「かぐや姫みたいだ」と言ってほめてくれた。照れくさかったけど、
すこし縁起が悪いような気もした。私はかぐや姫みたいにいなくなったりしない。夏休みが終
わっても、このままずっと、ずっと京介といっしょなのだから。


529:マインドスワップ 9/18
11/07/14 23:12:15.43 90wkXXSJ
 花火大会の行なわれる港は、いつになく賑わっていた。地方の大きな花火大会にもなるとコ
ミケクラスの民族大移動になるそうだけど、私たちの行った花火大会ではある程度の風流が残
されてあった。展望台のほうは無理そうでも、海辺に面した芝生なら、場所取りをする必要は
ない。私はついついひとけのなさそうなところを目で探ってしまった。あさましいにちがいな
いけれど、そうしたのは京介なのだから、花火大会が終わったら、ぜひ責任をとってほしいと
思う。
 私と京介は花火が始まるまでの間、出店のあたりをぶらつくことにした。いつものデートの
ときと同じように、京介がおごってくれた。
 最初に訪れた出店では、メルルのわたあめをふたつ買った。ひとつはたまちゃんへのおみや
げで、もうひとつは、ふたりで食べるためだ。注文のとき的屋のおじさんが、
「よし来た。嬢ちゃんにはおまけ、兄ちゃんには爆発する権利をやろう」
 と、私たちを茶化して見せた。京介は「ひでーなおっちゃん!」と突っ込んでいたけど、私
はうれしくてしかたない。今の私と京介は、誰が見ても、ちゃんと恋人同士に見えるのだ。
 わたあめを買ったついでに、となりの出店でマスケラとメルルのお面を買った。これで私た
ちはヒーローとヒロインに……まあ、夢の共演ということで、そう見えなくもないだろう。
 ぱんぱんのわたあめはおみやげにして、私たちは通常サイズのわたあめを食べさせ合った。
京介の食べた箇所に私が口をつけると、彼はおもしろいくらいに狼狽した。いつもいつもあん
なことをしてるくせに、妙なところで照れ屋なのだ。
 ヨーヨー釣りもした。私は五千円札入りの風船を狙って駄目だった。でも、京介は私のぶん
のヨーヨーも釣り上げてくれた。京介ってあんがい小器用なところがあるのかもしれない。
 射的屋に寄った。メルルのキーホルダーには掠っただけだった。京介から弾を分けてもらっ
ても、撃ち落とせなかった。ひどい店だ。照準器が狂っているんじゃ、絶対に落とせるはずが
ない。
 射的屋を離れて歩き出すと京介が言った。
「なんつーか、意外だな」
「なにが?」
「いや、おまえはこういうの得意そうだなーなんてさ。まあ俺が勝手に思いこんでいただけな
んだけどさ」
 京介はなんの気無しに言葉を続ける。
「ヨーヨーんときもそうだけど、なんていえばいいのかな。桐乃みたいっつーか」
 私は立ち止まった。

530:マインドスワップ 10/18
11/07/14 23:15:36.51 90wkXXSJ
「おまえと桐乃は親友だからな、やっぱ似たもの……って、どうした?」
「……京介。キスを、しましょう」
「は、はぁ!? なに言ってんだおま、こんなとこ―」
 私は彼の唇を塞いだ。両手で顔をがっちりと押さえて、口内に舌を滑り込ませた。舌の先で
歯の裏側をなぞり、音を立ててすすり上げる。
 それも数秒のことだった。
 京介は我に返るや否や、私の肩を掴んで力尽くで引きはがした。
「ばっ、止めろって! 人に見られたらどうすんだよ!」
 口元を拭いながら、京介があたりを見渡す。どうせだれも見ていない。ほんの数秒のことだ
し、花火の時間も近づいているから、バカップルにかまう人などいやしない。それに、あんま
り私以外の人に目を向けてほしくなかった。
 京介は私の背後に目をこらそうと乗り出したけど、私はすぐに真正面に立って、彼の視線を
遮った。
「桐乃は、こんなことしてくれないでしょう?」
 流し目に彼を見つめながら、唇の端を指で拭うと、その濡れた指をゆっくりとくわえ込む。
私と京介が混ざり合ったそれは、わたあめの名残で蕩けるように甘かった。
「だ、だからなぁっ……!」
 先日の行為が思い出されたのか、京介は耳を赤くして口ごもる。
「そろそろ行きましょう。花火が始まってしまうわ」
 そう言って、京介の腕をぎゅっと抱きしめる。浴衣なので下着は着けていなかった。生地越
しにこわばった突起を押しつけながら、私は耳打つ。
「いいのよ。私を、あなたの妹の代わりにしても……」
「黒……猫……?」
 京介が目を見開いて硬直した。
「おまえ……」
 彼の様子を見て、私はあのときのようにリビドーを刺激してしまったのかもしれないと思っ
た。発散はあとでたっぷりしてもらうとして、今は花火の花火のほうが先決だ。私は彼の腕を
引き、
「行きましょうか、兄さん」
 歩きだそうとした―そのときだった。
「っ……!」
 京介が息を飲んだ。
「兄さん?」
 見ると、彼の上着が不自然な形に突っ張っている。背後からパーカーを引っ張られて、足を
踏み出そうとした格好で、固まっていた。
 私と京介は、ほとんど同時に振り返った。

 夜空が明るんだ。一拍おいて、ドン、と、花火の弾ける音がした。胎内まで響き渡るような、
大きく、重い音だった。


531:マインドスワップ 11/18
11/07/14 23:19:23.80 90wkXXSJ
 砂の流れるのに似た音が後に続き、そして―空に照らされ、栗色の髪が色とりどりに輝い
た。

 ―“あたし”がそこに立っていた。

「きり、の……」
 いつか聞いた幻聴が、彼自身の口で繰り返された。



「いかないで」
 ただ、それだけだった。
 桐乃が口にしたのは―たった一言、それだけだった。
 でも、それだけで、“私”はもう、なにも言えなくなってしまった。

 桐乃は中学のジャージを着ていた。髪留めはなく、垂れた前髪が表情を隠していた。項垂れ
て、力なく伸ばした手で、京介のパーカーの裾を握っていた。その手が心細げに小さく震えた。
 再び花火が打ち上がった。前髪越しに、きらりと光るものが覗いた。はっきりと、見えてし
まった。
 あたり一面が明滅し、ドン、ドンドンドンドン、と、重い大気が激しく鼓膜を打ち叩く。連
発花火の容赦ない喧噪のなかで、桐乃の唇だけが、かすかに動いていた。
 まもなくしんとなって、夕闇がたちこめる。京介の腕がするりと抜けていった。あっけなか
った。“私”の手は、もう言うことを聞いてくれなかった。
 シャツをつかむ桐乃の手に、京介の手が重なった。桐乃の肩がびくんと跳ねた。京介は桐乃
の強ばった指を、壊れ物を扱うように繊細な手つきで一本一本裾から外してゆき、それから、
あらためて桐乃に向き直った。
「桐乃」
 と、京介は言った。そして、肩をすぼめた桐乃の頭に、ぽんと軽く手を乗せる。
「ばかだな、おまえ。こんなカッコして、こんなとこにくるなんて……ほんと、ばかだよ」
 京介が桐乃を撫でている。桐乃は涙ぐんだ目を猫のように細めている。
 ―やめて。そいつはあんたの妹なんかじゃない。
 あたしの叫びは声にはならず、私は呼吸を荒げるだけだった。
「でもな……俺は、もっとばかだ。大ばかだ」
 そのさきは、聞きたくない。けれど私の全身は微動だにしない。京介の選択を最後まで見と
どけるよう、あたしに強いる。
「あのときの俺を、ぶん殴ってやりたい……」
 いいかげんに吹かれた笛のような音が、天空高く伸びていく。京介が振り向いた。
「……ごめん。黒猫」
 ドン、と、心臓を横殴りに響きわたった。
「……俺、わかっちまったんだ」
 光の雨に打たれる兄貴の顔は格好良かった。


532:マインドスワップ 12/18
11/07/14 23:23:54.30 90wkXXSJ
「おまえと過ごした今年の夏は、楽しかった。きっと一生忘れないと思う。……だけどさ」
 例のふやけた音が、幾筋も幾筋も金魚のふんみたいに纏わり付いて立ちのぼる。うらぶれた
火球のぱらぱらという嘆息に、厚かましく被さった。
「…………じゃ、駄目だと思っ…………こいつに自分勝手な気持を……いて、自分はちゃっか
り…………後ろめたくて、ずっと躊躇してい……」
 ドンドンドンドン……ああもう、やかましい。京介の声が聞けないじゃないの。近所迷惑く
らい考えろっての。だいたいこんなんのどこがいいワケ? くっさい火の玉で空をギランギラ
ンに飾り立ててせっかくの星空が台なしなんですケド。ぐっちゃぐっちゃの光り物見てわーき
れーっておめーらカラスかっつーの。
「……本当の気……を、ようやく……」
 美しく咲き乱れるだとか儚くて感動するだとかなんとかじゃあ夜空に残った染みみたいな煙
の塊はなに? そいつのうんち? あーもーほんっとウザっ下痢ピー打ち上げてどや顔でスタ
ーマインでございっとかニコ動の~してみたと同じくらいウザいしベスビオス級とか厨二セン
ス極まりない。
「……俺はこいつの兄貴なんだ。どうしようもないシスコンなんだ」
 やっとウザいのが止んだ。せいせいした。これでようやく京介の声を―
「―だから、別れよう」
 聞いてあたしは発狂した。


 わたあめの袋は投げ出され、メルルの顔が土にまみれている。ヨーヨーは下駄の歯で破裂し、
地面がぬらぬらと光沢を帯びている。浴衣の帯が緩んで肩はむき出しになっている。三尺玉の
空いっぱいに咲き散る金光を背にし、胸のはだけるのもかまわず、あたしは京介にむしゃぶり
ついていた。
「―どうしてねえどうしてウソよウソだって言ってよ京介お願い別れるなんてウソだよねあ
たしたちずっといっしょにいようっていったじゃない約束したじゃない愛しあったじゃない桐
乃は妹なんだよ結ばれちゃだめなんだよ親不孝なんだよ私じゃないと結婚できないんだよどう
してそんなことを言うの私たち愛しあってるのにどうして別れなきゃいけないの妹なんて大嫌
いなんでしょあなたそう言ってたでしょう嫌いだ嫌いだってあんた言ってたでしょあのときあ
んな顔してたでしょうだから私は、あたしはっ……!」
「くろ……ねこ? おまえ、いったい……」
 京介はどうしてこんな顔をするんだろう。けど、その理由はすぐにわかった。


533:マインドスワップ 13/18
11/07/14 23:26:24.53 90wkXXSJ
「ああ、そっか。そうかそうかそうかそうかぁ―あたしの愛し方が足りなかったんだ」
 すぐさま足払いをかけて押し倒す。京介は尻餅をついて苦しそうに呻いたけど、そんなのも
う関係ない。あたしがどれほどあんたを愛しているのか、思い知らせてあげないといけないの
だ。
「お、おい! ちょ、待てよ!」
 ベルトのバックルに片手を伸ばしつつ、もう片手でその下をさする。
「や、やめろ黒猫……俺にはもう……それに、こんなところで……」
 一昨日なんか「エターナルフォースブリザーメン! 相手は孕むッ!」ってシテたくせに、
今さらなぜ抵抗するのだろう。理解に苦しむ。
「私は―黒猫は、京介のためならなんだってする。してみせるわ。京介がもはや私と付き合
えないというのなら、超すごい私の愛を見せつけてやるだけのことよ」
 そうまくし立てながらファスナーの引き手を摘んだとき、

「―黒猫はそんなこと言わない」
 横合いから、そんな声が割り込んだ。

「黒猫はそんなこと言わない。大事なことだから、二度言ったわ」
 見上げると、桐乃の目とかち合った。人形めいた瞳が私を見下ろしていた。あたしを射貫く
ように、そして哀れむように、たった一言、吐き捨てた。
「無様ね」
 あたしは京介を見た。怯えていた。それであたしは、自分が振舞いが常軌を逸していたのに、
やっと気がついた。あたしは発作的に飛び退いた。
「やめてよ……そんな目で見ないで。哀れまないでよ!」
 髪を振り乱して絶叫する。
「好きになって欲しかったの! 女として愛して欲しかった! あたしを、あたしだけを見て
欲しかった! なのにどうしてみんな邪魔をするの! 地味子も沙織もあやせもあんたも、京
介も! どうしていつもいつも……」
「そうやって、いつも誰かのせいにして誤魔化すのね」
 その言葉にあたしは戦慄し、心臓をわしづかみされたように、固まってしまった。息ができ
ず、目をそらすことすらできない。桐乃の瞳のなかに、黒猫の無様な泣き顔が映っていた。
「まあ、別にそのままでもかまわないわ。決着は、もうついたのだから」
 “桐乃”が薄笑いを浮かべ、あたしに顔を近寄せて言った。
「“あたし”は京介に彼女ができるなんて絶対イヤ。だから京介も、彼女をつくらない」

534:マインドスワップ 14/18
11/07/14 23:29:25.07 90wkXXSJ
 桐乃は怪訝顔の京介をちらりと見やって向き直ると、私だけに聞こえるような声量で続けた。
「あんたは京介にふられちゃったけど、もう恋人でもなんでもないけど……安心しなよ。これ
からもさ、アキバ行ったり同人誌つくったりして、いっしょに遊ぼう? ……だってあたした
ち、友達でしょ? 遠慮しなくていいよ。こんなことになっちゃったけど、“あたしたち兄妹”
は、“あんた”の友達やめたりしないから」
 ―そうだ。私はもう京介の恋人じゃない。妹でもない。ただの、友達に過ぎない。
 あたしたちは、桐乃と黒猫はある日突然―本当に突然、体が入れ替わった。まさしく出来
の悪い小説みたいにいいかげんな展開だった。そしてその原因は今なおまったく見当がつかな
い。原因がわからない以上、元に戻る術も、保証もない。京介の恋人になれたことで舞い上が
っていたあたしは、そんな単純な事実を失念していた。
「これからも、あたしたちずっと友達でいようね」
 瞳のなかの黒猫がにやりと笑った気がした。あたしは気絶した。




 見慣れた天井だった。エアコンの効いた部屋で目ざめると、からだじゅう冷え切っているよ
うに感じられた。
「ジャスト二週間ね。いい夢は見れたかしら?」
 と、“黒猫”の声が聞こえた。ベッドの脇を見れば、ジャージ姿の黒猫があたしの椅子にち
ょこなんと腰掛けて、漫画に目を落としている。
「これが……いい夢でたまるか、よ」
「沙織のような返しをするのね」
 それにしても、長い夢をみていたような気がする。いやーほんと、それはそれは長い夢だっ
たなぁ。きりりん思わず寝ぼけちゃったよ。夢の内容? あははは、覚えているわけがない!
「起き抜け早々現実逃避とは……いいご身分だこと」
「ぐぬっ……」
「それよりもまず、あなたは、私に言うべきことがあるのではないかしら」
 うん。わかってる。
 あたしは黒猫に、ひどいことをした。黒猫の体で、すごいこともした。
「黒猫、あたし―」
「なんて、ね」
 素直に謝ろうとしたとたんにさえぎられた。
「今さらだもの。謝罪も賠償も無粋だわ。それに、私だってなにもしていないといえば嘘にな
るから」
 聞き捨てならないことを言いおる。
「ま、まさかあんた、あのときの嫌み、本気だったんじゃ……」
 人を見下すのが超好きなクソ猫のことだ。あたしに成り代わって第二のリア充人生を送ろう
と企みかねない。


535:マインドスワップ 15/18
11/07/14 23:32:01.68 90wkXXSJ
「さて、どうかしらね。けれど、大変だったのよ、あの後。あなたが突然倒れたものだから―
―あの場にたまたま医者が居合わせたから大騒ぎにはならなかったものの、タクシーを呼んだ
りして、気を失ったあなたを京介と二人でここまで運ぶのに、ずいぶん手こずったわ」
「ふーん……あれ? なにかおかしくない? 気絶したのは“あたし”でしょ?」
 “あたし”と言ったところで黒猫を指さした。
「直前で戻ったのよ。ファビョったあなたに、“私”が勝利宣言をした、あのときだわ―本
当に突然だったの。負け犬がどんなリアクションをするか観察していたら、いきなり目のまえ
が真っ暗になったわ。それもほんの一瞬のあいだよ? 気づくと私は大股おっぴろげたはした
ない格好で地面に尻餅をついていて、目のまえには白目を向いたあなたがいる。立ったままび
っくんびっくんと痙攣し、蟹のように泡を吹いている……まるでゾンビ映画みたいだった。あ
まりのキモさに私は慟哭してしまったわ」
 あたしは、もうお嫁に行けないかもしれない。それなのにこの黒いのは、やけに嬉嬉ととし
てあのときのことを物語る。
「京介もどん引きよ」
 ほんといらんことを言う。
「けれどまあ、これにて一件落着ということね。過程はどうあれ、私たちはもとの体に戻れた」
「一件、落着……」
 たしかにそうだけど、やっぱりどうも納得できない。結局、なにもかもうやむやのままなん
だから。
「不服そうな顔ね? でも、現実なんて、結局そんなものよ。劇的な解決もカタルシスもあり
はしない。なるべくしてなるというのはむしろまれなことで、物事の解決というのはたいてい、
時か、事件によってなされるもの。あなたの好きなエロゲーなんかと違ってね。お兄ちゃんが
性的な意味で大好きな妹は、思春期を過ぎれば他の誰かになびくものだし、夢破れた芸術家も、
リストラされたとなれば日々の糧を得るのに精一杯で、傷心も夢の名残も、慌ただしい日常の
なかで埋没して行く。そう。これっぽっちも美しくはないわ。だから現実はクソなのよ」
 黒猫は中二病患者らしく、一人で盛り上がっている。永遠の十四歳、といってあげればある
意味聞こえはいいかもしれないけど、こんなんだからこいつってぼっちなのよね。


536:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:32:12.09 o2PMNIwh
支援

537:マインドスワップ 16/18
11/07/14 23:34:35.13 90wkXXSJ
「今回の件は、唐突に始まって、唐突に終わった―ただ、それだけのことだわ」
 こいつは一人で勝手に締めくくろうとしてるみたいだ。でも、そうはさせない。あたしには
まだまだ聞いておかなくちゃいけないことが山ほどあるのだ。
「で、黒猫。―京介は?」
 本題を持ち出すと、黒猫は一瞬だけ露骨に嫌な顔をしてから、「っふ……」といつものよう
な邪気眼電波顔を浮かべた。
「彼は今、一階でご両親に絞られているわ。“かわいいかわいい兄さんの妹”をほったらかし
にしたのみならず、結果的に、こんな目にあわせてしまったのだから、当然の成り行きね」
 その妹とやらがいったい誰を指しているのか考えると無性にこいつの首を絞めたくなるが、
しかしきりりんさんの自制心には定評がある。高坂桐乃はあやせより加奈子より我慢強い女の
子なのだ。あたしは話の続きを待った。
「……ともあれ、安心なさい。兄さんは、あなたが私であったことを知らないわ」
「そっか……」
 なんともいえない心地だった。醜態をさらしたのがあたしだと思われていないことにほっと
する反面、結局あいつには、あたしの気持ちは伝わっていないのだ。
「ク……ふふふふ……! ……私は淫乱ヤンデレキャラとして定着してしまったのだけれどね」
「それはほんとごめん」
 本当にすまないと思っている。
「……ま、まあかまわないわ。これから私は、宿望を果たすことができるもの」
「しゅくぼう?」
 なにをするつもりだろう。黒猫が立ちあがり、あたしは思わず身構えた。
 ベッドのあたしを見下ろして、黒猫はあのときのようににやりと笑った。
「ねぇ、いまどんな気持ち?」
「はぁ?」
「ねぇねぇ、大好きなお兄さんを二度も寝取られて、いまどんな気持ち?」
「へ?」
 ほんの数秒、意味が飲み込めなかった。
「京介は私と付き合うと言ってくれたわ。そして、“私”のために黒猫と別れると、そうも言
ってくれたわ」

 ああ、こいつは―
―言ってはいけないことを、言ってしまったのか。

「……ぎぐががががががが……」
「今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち? 参考までに聞かせてもらえないかしら? 二
度も振られて、二度も寝取られてしまった淫乱ビッチさん」
「……っ殺す! このクソ猫絶対殺すっ……!」
 殺意が頂点に達したところで、やにわにこんな言葉が頭に浮かんだ。


538:マインドスワップ 17/18
11/07/14 23:39:15.05 90wkXXSJ
 ―だがちょっと待って欲しい。結果だけみれば、きりりん大勝利ということではないだろ
うか?
 手頃な得物を求めて枕元をさまよっていた手が止まる。
「そういえばさ、今のあたしは桐乃で、今のあんたは黒猫なんだよね?」
「……それがどうかしたのかしら」
「あんた振られっぱなしじゃない? 結局あたしの優位かわってなくない?」
 黒猫の表情が消えた。図星のようだ。
 あたしがお返しとばかりににやにやしてやると、黒猫が抑揚なくつぶやいた。
「あなたって、本当に最低の屑だわ」
「……ごめん。マジで」
 あたしって最低だ……でもさ、これって正直ヤバくない? だって京介って、妹のために恋
人と別れてくれたんだよね? どんだけシスコンだっつーの。それじゃあ妹離れなんて永遠に
できなくない? あーキモキモ。ちょーキモーい……ていうかヤバ。まじヤバ。ヨスガ一直線
間違いなし。しかも今やあたし、体は乙女頭脳はオトナな超ハイスペックシスターでしょ? 
京介なんか百パー溺れちゃう。受験生なのに、あたしにハマって勉強しなくなっちゃう。
 ―なんて馬鹿なことを考えていると、
「そろそろ私はお暇させてもらうわ。あなたも目ざめたことだし、あまり長居すると、京介が
戻って来てしまうから」
「あっ―」
 ―そっか。そうよね。“黒猫”は、京介にあんな醜態を見せてしまったんだから、顔を合
わせづらいにちがいない。気絶したあたしを連れてくるときはいっぱいいっぱいでそんな余裕
はなかったけど、あたしの容態が落ち着いた今、別れた恋人同士は、どんな顔をして話せばい
いのだろう。
「心配は無用よ。ここへ来る道すがら京介に説明したわ。あのことは―闇の力(ダーク・フ
ォース)の反作用体として生じた新たな人格、“闇猫”がしたことなのだと。京介もちゃんと
納得してくれた。そして、ひどく青ざめた顔で私を気遣ってくれたわ」
 邪気眼キャラって超便利。便利すぎてガチでびびられてる。
「ま、まあさ。あいつにはあたしからもフォロー入れておくね。うん」
「ええ、頼むわ……」と黒猫はわりと切実そうに告げてドアに向かい、そしてドアノブをつか
んだところで、
「そうそう、ひとつ、報告し忘れていたことがあったわ」
 と、目だけをあたしに振り向けて言った。


539:マインドスワップ 18/18
11/07/14 23:42:16.98 90wkXXSJ
「あなたもう処女じゃないから」
「はあっ!?」
 こ、このエロ猫、今なんて言った?
「先ほど言ったはずよ。『私だってなにもしていないといえば嘘になるから』と」
 クソ猫のとんでもない報告に、あたしは口をあんぐり開けて固まってしまう。
「安心なさい。兄さんは、すごく悦んでくれたわ。それに私も貴重な体験ができたから―ま
さか一生で二度も破瓜の痛みを味わうなんて、なかなか興味深い感覚だったわね」
 ぱたん、とドアが閉まった。
「あははっ……」
 思わず足の間に手を入れて、あたしは乾いた笑いを上げる。
「冗談だよね……今の、冗談なんだよね……」

 そこに京介がやってきた。
「やったぜ……桐乃」
 と、青あざのついた顔で京介は言った。見れば全身ぼろぼろで、お父さんに脱臼させられた
のか、肩を押さえて、よろよろと倒れ込むように歩み寄る。
「俺とおまえの仲を、親父たちに認めさせてやった。お袋はまだ下で泣いてっけど、俺たち兄
妹はこれで……って、桐乃?」
 京介は呆然としてあたしの顔をのぞき込む。あたしたちは二人とも呆然とした間抜け顔で向
かい合った。
「お、おまえ、本当に桐乃か?」
 あたしはこくんとうなずいた。
「本当かー? 本当に桐乃かー?」
 もいちどこくんとうなずいた。
 けど京介はやおら天井を仰いで、
「嘘だ! 俺の妹がこんなに可愛くないわけがない! 兄さん好き好きけなげオーラが欠片も
ねーじゃねえか! ハっ……さては悪魔(あやせ)が化けてんだな!? またかよオイ! あ
やせテメェっ、俺はおまえの彼氏にゃならねぇってなんど言えばわかるんだ!? 体は許して
も心は許さないからな! この逆レイパー!」
「し……ししっし、しっししししし……」
「黄金水か!? 黄金水なんだな!? だが断る! もはや俺がそれを飲み干すのはただ一人! 
すなわち! ラブリーマイシスターきり―」
「―死ねえええええええええ!」




おしまい

540:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:43:37.10 90wkXXSJ
以上です。

541:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:47:28.50 H2JTEfpT

おもしろかったよ

ただ改行たのむ
読みにくくてしゃーない

542:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:49:49.82 to4GF03v
偽8巻の人かな?

543:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:50:26.68 o2PMNIwh
>>540
GJでした。こういうのも面白いな。

>>541
これ以上なく改行されてたと思うんだが。むしろ抜群に読みやすかった。

544: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】
11/07/14 23:56:39.55 m6DGYC76
>>540
乙です
面白かった!
けど、胃がきりりんしてしまったぜ・・・・・・
特定のキャラに入れ込みすぎるとこういうとき損だなぁと思う今日この頃
というか京介、お前知らない間に何人手を出して云々

545:名無しさん@ピンキー
11/07/14 23:59:05.90 to4GF03v
正直、もっと警告入れても良い内容だったとは思う

546:名無しさん@ピンキー
11/07/15 00:03:40.16 1NsfYIJ1
言い方間違った

行間空けた方が読みやすかったんじゃないっていう話
一文長いから、むしろ右揃えして改行するとブロック化されて読みにくいって感じたのかも
批判じゃなくて意見要望だからまァ気にしなくてもいいので考えてみてください
内容は面白かったと思うよ

547:名無しさん@ピンキー
11/07/15 02:38:00.83 gyBbs5IB
良貨マダー?

548:名無しさん@ピンキー
11/07/15 02:40:03.41 0ixV5P6o
たった今、投下されたろ。この感じは、多分8巻予想の人だな
相変わらずクォリティ高くて、ずいずい引き込ませる内容で、なおかつ胸糞の悪いSSを華麗に書く人だ

549:名無しさん@ピンキー
11/07/15 05:40:55.07 LuuFJB2E
>>539
超面白かった
桐乃(黒猫)とのプレイとあやせの逆レイプも見たいんだぜ!

550:名無しさん@ピンキー
11/07/15 06:19:23.09 PI4EOe5M
勝手に決めつけてるけど、違ったらどうすんの?
大抵の人はめちゃくちゃ不快な気分になると思うぞ

551:名無しさん@ピンキー
11/07/15 07:39:22.53 O3fPt9U9
>>548
いや、それはないな。
氏の設定も活かされてないし、なにより説得力がまるで違う

552:名無しさん@ピンキー
11/07/15 09:54:15.06 Bzit5xPq
>>540
おつー
黒猫視点も読んでみたいな。

553:名無しさん@ピンキー
11/07/15 13:28:06.53 4FIW607u
ここからさらに黒猫が妊娠して三度寝取られたりしそう

554: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】
11/07/15 13:34:08.90 YBGTYetW
考えないようにしてたのに言わないでくれ……

555:名無しさん@ピンキー
11/07/15 15:42:07.32 1UK/r/Ce
そこでダブル妊娠トライアングラー
二人が俺の翼だエンドですねわかりますん

556:名無しさん@ピンキー
11/07/15 16:34:04.07 WD9kK3wa
なんか京介の性格がへんだな
誰これ?って感じ

正直、俺妹じゃなくても良さげだよねコレ

557:名無しさん@ピンキー
11/07/15 16:37:24.43 5GdqawAc
そんなのSS全般に言えること

558:名無しさん@ピンキー
11/07/15 18:59:02.52 N8xzBMWG
よくわからんのだが、京介は桐乃の中身の黒猫が可愛すぎて抱いちゃって、で、桐乃が入ってる黒猫を振って近親恋愛に走ろうとしてボコボコにされたってわけ?
しかも黒猫は桐乃が黒猫の体に入ってること知らなくて、桐乃として抱かれて
もうわけわからんw

559:名無しさん@ピンキー
11/07/15 22:16:10.62 g3ZnjpBK
内緒だけど沙織はオワコン

560:名無しさん@ピンキー
11/07/16 00:07:13.42 hT8Z0beh
>>553
良いね、それ。別の意図を込めたであろう書き手には悪いけど、俺の中ではそう言う未来で確定したわ

561:名無しさん@ピンキー
11/07/17 00:34:32.84 9g3IOMTS
>>539
遅くなったけど乙でした。
面白かった。次回作にも期待してる。

562:名無しさん@ピンキー
11/07/17 02:00:22.99 LP5CtgmR
低能アンチの自演で埋まるか

563:名無しさん@ピンキー
11/07/17 02:07:05.16 ArzxtUdI
アンチ(何に対しての?)とやらも、自演と言えるほどの、そもそもレスのやり取り自体も見かけんのだが・・・
誤爆か?

564:名無しさん@ピンキー
11/07/17 09:36:03.44 YjvtR7SB
素晴らしい
正直こんなスレに投下するのはもったい出来だと思ったわ
エロありだからここしかないのがあまりに惜しい

565:名無しさん@ピンキー
11/07/17 14:23:30.85 mr9Ilbur
>>556みたいな奴ってきもい
なんか死んでほしいなぁって思う

566:名無しさん@ピンキー
11/07/17 14:42:35.38 23pGKISv
>>548
いや別人だろ
文章の書き方も再現度も違うし
何より改行の仕方が違う

567:名無しさん@ピンキー
11/07/17 14:45:06.76 gkV+P4k2
やっちゃえ~

568:名無しさん@ピンキー
11/07/17 14:51:36.42 yp8WaJck
可愛くない? メガネとか
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)

569:名無しさん@ピンキー
11/07/18 01:05:24.90 Ka5JKzDx
>>568
糞なURL貼るな

570:名無しさん@ピンキー
11/07/18 03:14:29.13 vpHmcu8J
ずいずい引き込ませるSLさんの作品の続きが早く読みたい…

571:名無しさん@ピンキー
11/07/18 09:28:14.31 vSWYvQ8e
乱交物で二穴・三穴物が見たいェ…

572:風(後編) 18/63 SL66 ◆Fy08o57TSs
11/07/18 09:55:35.68 8mgfk2k0
*  *  *
 ついに野点が開催される土曜日がやってきた。
 いつものように教室のやや後ろに座っていた俺は、二限目の講義が終わったので、教科書やノートを
バッグに仕舞い、うつむき加減で立ち上がろうとした。だが、

「高坂さん、いよいよ本日です。あやせさんとご一緒に午後二時半よりも少々早く拙宅へお出でいただけれ
ば幸いです」

 鈴を転がすような優しげな声がしたので、おもてを上げると、俺の眼前に保科さんが笑みを浮かべて立っ
ていた。いつの間に……。
 超絶美人のご令嬢と、名もなきよそ者。誰がどう見ても不釣り合いな組み合わせに反応してか、教室の
ざわめきが一気に拡大した。
 「なにあれ?」、「保科さんと、あのさえない野郎ってどういう関係?」、「拙宅って、保科さんの邸宅
か?」といった驚愕と猜疑と嫉妬が込められた囁きがいやらしい。

 なんてこった! 保科さんとの野点の件は、学内では、悪意のなさそうな陶山や川原さん以外の者には
内緒にしておきたかったし、保科さんとの関係も、今回の野点だけでお仕舞いだろうと思っていたのに……。
 よりにもよって、教室に学生がわんさか居る状態で、俺との関係を匂わせるようなことを言うのだから
たまらない。
 
 これも保科さんが恐るべきド天然だからか?
 それはともかく、

「え、ええ、了解致しました」

 とだけ、手短に答えて、俺はそそくさと席を立ち、半ば駆け足で逃げるように教室をあとにした。
 何だよ、畜生! 俺が望まない方向に、事態がどんどん悪化していきやがる。
 クラスで変に目立ちたくなんかない。俺は無難に単位を取って、ここでの四年間を無事に過ごしたいだけ
なんだ。
 週明けに大学へ行くのが、憂鬱になっちまったじゃね〜か。保科さんよ。
 これからその保科さんの邸宅で野点だが、のっけから波乱を予感させやがる。どうなっちまうんだろうね。

 ガタゴトと路面電車に揺られながら、俺は車窓から流れゆく街並みを見やった。
 ノスタルジーを感じさせる雰囲気は嫌いじゃないが、所詮は四年間だけの仮の居場所なのだ。

「だが、無事に四年間を過ごしたとして、俺はいったいどこへ行く?」

 桐乃が留学だか結婚とかで実家を出てくれない限り、俺が実家に戻れる可能性はほぼないだろう。
 親父は俺の理解者ではあるが、結局はお袋に頭が上がらないことが、俺と桐乃をどうするかという家族
会議で証明されてしまった。
 そのお袋は、もはや俺のことは眼中にないようで、桐乃に全てを賭けている。桐乃には、高校でも陸上で
頑張ってもらい、大学はT大に合格してもらう心づもりであるらしい。
 もう、実家に俺の居場所はないのだ。

『だったら、こっちでずっと暮らすんですか?』

 あやせにはそう詰め寄られたが、もしかしたら、否が応でもそうなっちまうかも知れねぇな。だからこそ、
変に目立つのはまずいんだ。
 それだけに、先ほどの保科さんの大学での振る舞いは迷惑千万であるし、そもそも野点に招待されたこと
自体が今となっては災難でしかない。

 げんなりした気分で下宿に帰着すると、そこの女主人であるお婆さんが、珍しく妙にうきうきとしていや
がった。


573:SL66 ◆Fy08o57TSs
11/07/18 09:56:37.33 8mgfk2k0
おお、ようやく規制が解除

では、引き続き『風』の残りを投下!!

574:風(後編) 19/63
11/07/18 09:57:41.69 8mgfk2k0
「高坂さん。今しがた、あやせさんから電話がありましたけど、今はタクシーでこっちに向かっているそう
ですよ。到着したらすぐに着物の着付けをするとかで……。私も着付けのお手伝いをしますけど、大忙しで
すね」

「そ、そうですか……」

 招待状を保科さんから受け取った翌日に、件の招待状を見せた時のお婆さんの驚きときたら、まるで別人
の様だったからな。それだけで、保科さん一族のこの街でのステータスが分かろうかというものだ。

「はぁ……、ため息しか出ねえや……」

 単純な奴なら有頂天になるのかも知れないが、俺は到底そんな気分になれなかった。
 野点に招待されているのは、俺とあやせを除けば、相応な地位の者ばかりだろう。
 そんな中に、この地方の出身者ですらない只の学生が紛れ込んでいいはずがない。

「高坂さんも早く支度を……。その前に、手早く食べられるように、おむすびを作っておきましたよ」

 見れば、ちゃぶ台の上には、ラップが掛けられた握り飯が六個ほど置かれている。俺とあやせとで三個
ずつということらしい。そういや昼飯時だってのを忘れていたな。
 緊張感からか食欲はなかったが、腹が減っては戦ができぬ。俺は三個の握り飯を喉に押し込むようにして
食い、白味噌を使った味噌汁をすすり、お茶で喉をうるおした。

 握り飯を食い終えた頃、下宿の前に車が止まる音がした。そして、

「ごめんください」

 という、あやせの声が玄関から聞こえてきた。

「まぁ、まぁ、まぁ!」

 妙にはしゃいでいるお婆さんとともに玄関へ急ぐと、前回よりもさらに大きい特大のキャリーバッグを
引いた新垣あやせが笑顔で佇んでいた。

「今回もお世話になります」

「遠いところをようこそ……。あやせさん、お昼は食べました? もしよかったら、おむすびでも……」

「せっかくですけど時間が惜しいので、お昼は新幹線の中で済ませました。これから着物の着付けを致しま
すので、済みませんが宜しくお願い致します」

「まぁ、段取りが宜しいですね。では、早速、始めましょうか」

 お婆さんがあやせを伴って、一階の奥の方にある、俺も立ち入ったことのない部屋に向かって行った。
 俺の前を通り過ぎる際に、あやせが大きな瞳で、俺をじろりと睨んだような気がした。

『いよいよ正念場です。気を引き締めてください』

 とでも言いたげだったな。

「俺もそろそろ着替えないとな……」

 自室に入り、箪笥からスーツ一式を引っ張り出した。これに袖を通すのは入学式以来じゃねぇか。
 はっきり言って安物だが、ダークグレーの無難な色合いが幸いしてか、それほど見苦しくはない。
 ネクタイを黒にグレーのストライプのものでシックに決めれば、今回の野点のようなあらたまった席でも
大丈夫だろう。


575:風(後編) 20/63
11/07/18 09:58:43.72 8mgfk2k0
「頭はどうするかな……」

 いつぞや加奈子のマネージャーを装った時のように、オールバックにしようかと思ったが、やめておいた。
妙に大人ぶるよりも、年齢相応な姿の方が変に目立たなくて済むだろう。
 それよりも、清潔感が大事だ。髪は、今朝方シャンプーしたから、その点は大丈夫かも知れない。
 ついでに、靴下も下着も、真新しい物に替えた。

「さてと……」

 和服に比べれば、スーツの着替えなんて一瞬みたいなもんだ。ネクタイだって、高校の制服で結び慣れて
いるから、一発で、大剣と小剣の位置がぴったりと合った。

 俺は自分の両肩、腹部、脚部に目をやり、スーツ姿の自分を確かめた。安物の既製服だが、俺の身体に
ぴったりと合っており、雰囲気は悪くない。むしろ、ブランド品であっても、体型に合ってない物の方が
安っぽく見えるだろう。
 ただ、昨今の若者向けの流行なのか、ズボンが細身にできており、若干だが圧迫感を覚えなくもない。

 時計を見ると午後一時過ぎだ。あやせの支度はどれ位かかるのだろうか。
 俺はズボンにシワが寄らないように脚を伸ばして座布団の上に座ると、気象庁のホームページでこの地方
の時系列天気予報を確認した。

「曇り時々晴れ……。気温も十五度から二十度弱といったところか」

 スーツ姿にはちょうどいい陽気だろう。しかし、振袖姿では少々暑いかも知れない。
 時刻が午後一時半になろうとする頃、階下から俺を呼ばわるお婆さんの声がした。あやせの着付けが終
わったらしい。予想外に早かったな。

 階下に降りてみると、八畳間には、長い髪をきれいにまとめ、空色を基調とし、芙蓉らしい花模様が控え
めにあしらわれた振袖姿のあやせが立っていた。

「おお……、さすがに似合うなぁ」

 月並みな感想だが、実際にそうとしか表現できないんだから仕方ねぇな。
 あやせも、スーツ姿の俺を見て、

「お兄さんも似合ってますよ。特に、そのネクタイ、なかなかいいですね」

 と言ってくれたじゃねぇか。外交辞令かも知れないけどよ。

「そうですね、高坂さんのスーツ姿もなかなかです。でも、あやせさんには本当にびっくりです」

「妹がどうかしましたか?」

「いえ、こんなにお若いのに、着物の着付けの心得があって、このような方は、今では本当に珍しいですね」

 そりゃそうだ。高校一年生とはいえ、和服も着こなす現役のモデルだからな。お婆さんが驚くのも無理は
ない。

「それはそうと、お兄さん急ぎましょう」

 和服に合わせたポーチを手にしたあやせが俺を急かしている。だがな、

「保科さんは二時半の少し前頃に来いとかって言ってたぞ。今出発したんじゃ、だいぶ早く着いちまう」

「お兄さん。わたしが振袖姿だってのを気遣ってください。わたしはスーツ姿のお兄さんほど機敏には動け

576:風(後編) 21/63
11/07/18 09:59:47.31 8mgfk2k0
ませんから、早め早めの行動を心掛けたいんです」

 もっともらしい理屈だったが、“敵状視察”のために早く出発したいんだな。

「じゃぁ、タクシーを呼びましょうか?」

 お婆さんの申し出に、あやせは「宜しくお願い致します」と即答した。
 俺は俺で、もう一度自室に戻り、財布や学生証の入った定期入れをスーツの内ポケットに入れた。
 取り敢えず学生証を見せれば、保科さんの同級生であることは主張できるだろう。
 それと、保科さんから受け取った招待状も、封筒ごとスーツの内ポケットに収めた。

「お兄さん早く! タクシーが来ましたよ」

 呼んだらすぐ来たのか。どうやら、タクシーの営業所が下宿屋の近くにあるらしい。
 玄関に行くと、玄関先に止まっているタクシーにあやせが乗り込もうとしているところだった。

「おい、おい、俺が靴を履くまでは待っていてくれよ」

「お兄さんがグズっているからです。もう、早くしてください」

 相変わらず容赦がねぇな。まぁ、これでこそ、あやせたんだ。

「どちらへ参りますかね?」

 俺が乗り込むなり、そう言った初老の運転手に、俺は保科さんの住所を告げた。

「おや、保科さんのお屋敷ですかな?」

「分かりますか?」

「あの辺りは、保科さんのお屋敷ぐらいしかめぼしいものがありませんからなぁ。すぐに分かりますよ」

 俺とあやせは思わず顔を見合わせた。どういうことだろう。
 タクシーは、土地勘のない俺たちを乗せて走り出した。どうやら、北の方に向かっているらしい。
 タクシーは二十分ほど走り続け、人家が途絶え、木立が目立つようになった頃、

「こちらです……」

 運転手は、そう言ってタクシーを止めた。

「ここ、ここが保科邸……」

 寺の山門にも似た重厚な門があり、その門の左右には、白壁に瓦の屋根が葺かれた塀がつながっていた。
白壁の塀は高く、中の様子はさっぱり窺えない。
 屋敷の背後には山々が迫っているようで、その山々は鬱蒼とした森で覆われている。

「たしかに周辺にめぼしい建物はねぇな……」

 おそらくは、背後の山々も含めて、屋敷周辺の土地は、すべて保科家のものなんだろう。
 土地だけで資産価値はどれだけになるのか見当もつかない。

「では、一千八百六十円をいただきます」

 運転手に告げられた料金を支払って、さて下りようかという時に、

「待ってください!」


577:風(後編) 22/63
11/07/18 10:00:50.41 8mgfk2k0

 あやせが、ポケットから財布を取り出そうとした俺を制止した。

「何だよ、いきなり」

「このまま下りて門をくぐったら、保科邸の規模がよく分からないかも知れません。ですから、タクシーに
乗ったまま、保科邸の周辺を見てみましょう」

 敵状視察というわけか。幸い時刻は二時過ぎだった。
 それに、言い出したら聞かないあやせに、敢えて逆らっても不毛だしな。
 俺が、無言で頷き、財布を内ポケットに入れ直すと、あやせは運転手に、

「では、お願いします。保科邸の周辺をちょっと一回りしてください」

「宜しいですが、保科さんのお屋敷は、背後が山で、左右は森で塞がれています。そっちの方に道はござい
ません。ですから、お屋敷の前の方にある道路を行ったり来たりするだけになりますが……」

「それで結構です」

 運転手は、「承知致しました」と呟くように言って、タクシーをゆっくりと走らせた。
 門から右手方向、おそらくは東の方に二百メートルほど行っただろうか。白壁の塀は、そこまで続き、
そこから先は背後の山と同じく、鬱蒼とした森になっていた。

「こちら側は、ここまでですね」

「では、引き返して、門から左手方向も行ってください」

 門から左手方向も、右手方向とほぼ同様で、門から二百メートルほど離れたところで、白壁の塀は途切れ、
あとは鬱蒼とした森だった。
 ただ、自動車が出入りするためらしいゲートが白壁を穿つように設けられている点だけが違っていた。

「ここまでですね……」

「……分かりました。これで結構です。車を門前に戻してください」

 結局、保科さんの邸宅が、やたらと大きいということしか分からなかった。
 あまり意味のある行動ではなかったかもな。

「では、これでお願いします」

 タクシーが門前に止まるや否や、あやせは運転手に一万円札を差し出していた。

「おい、おい、そんなもん、俺が払うよ……」

「いいえ、保科邸の周囲を走ってくださいっていう余計なお願いをして、支払うべき料金を高くしたのは
わたしですから、おかまいなく」

 強情だからな、こいつは。言い出したら聞きゃしない。
 俺は支払いはあやせに任せることにして、先にタクシーから下り立った。

「伏魔殿、っていう感じじゃないですか」

 タクシーを下りて、俺に寄り添ったあやせが、心持ち眉をひそめて言い放った。

「せめて、威風堂々って言ってやれよ」



578:風(後編) 23/63
11/07/18 10:02:14.47 8mgfk2k0
 かく言う俺自身も、あやせの家を伏魔殿と表現したこともあったな。お互い様か。

 門構えは、保科さんと出会った禅寺にも引けを取らない。いや、あの禅寺以上の規模だろう。白壁の塀の
高さは三メートル近くあり、侵入者を阻むのみならず、屋敷の中の様子を完全に隠蔽している。
 あやせの言う通り、これこそが、本当の伏魔殿なんだろうな。

「でも、古くさいですね。防犯装置とかはどうなっているんでしょうか?」

 保科さん憎けりゃ、門まで憎いってか。あくまでケチをつけたいらしい。
 先日川原さんから教えてもらった鬼女伝説とか、保科家の婿が早世する噂を、あやせが知ったら大変だな。
 そんなあやせにちょっとうんざりした俺は、指を差さずに、顎を門の軒の方にしゃくってみせた。

「あれを見ろよ」

 よく見ればそこには、灰色の小さなドーム状の装置が取り付けられていた。

「カメラ……、ですか?」

「多分な。これ以外にも、あちこちにあるんだろう。俺たちが到着したことは、屋敷の中には筒抜けさ」

 そうなると、屋敷の前をタクシーで右往左往したのはまずかったな。警備責任者だか何だかには、不審者
と映ったかも知れねぇ。
 だが、ここまで来て引き返すのは癪だし、門前払いはもっと腹が立つ。
 俺は、ごくり、と固唾を飲み込むと、門にしつらえてある呼び鈴のボタンを押した。

『はい、どちら様でしょうか』

 落ち着いた中年女性の声がインターホンから聞こえてきた。保科さんの家の女中頭といったところだろうか。
 俺は、落ち着くつもりで軽く咳払いをしてからインターホンのマイク部分に近づいた。

「あの〜、本日こちらで開催される野点のご招待に預かりました、高坂京介と、高坂あやせと申します……」

 それから先はどう言うべきか正直迷った。『だから門を開けてくれ』というのでは、ちょっと図々しい
だろう。結局、

「……本日は宜しくお願い致します」

 と無難に締めくくった。
 だが、インターホンの相手は、

『かしこまりました』

 とだけ告げて、インターホンをプツンと切っちまったじゃねぇか。
 当意即妙でこっちのことを認識してくれたのなら幸いだが、それにしてはあまりにもそっけなさ過ぎる。

「ここで待て、ってことですか?」

「そういうことになるんだろうな……」

 かしこまりました、ってんだから少なくとも門前払いではないだろうが、やはり俺たちは保科さんの野点
では場違いな存在だな。
 俺たち以外の招待客は、この地方の名士ばかりなんだろうから、タクシーではなく、運転手付きの車で
やって来るに違いない。そうなると、さっきタクシーで走り回っている時に目にした自動車専用のゲート
みたいなところから保科邸に入っていくのだろう。


579:風(後編) 24/63
11/07/18 10:04:31.06 8mgfk2k0
 この門を徒歩でくぐる招待客なんて、俺たちぐらいなもんだ。

 てなことを、うだうだと思っていた矢先、門の脇にあった人一人が身を屈めて通れるだけの小さな木戸が
軋むような音とともに開いた。

「まぁ、まぁ、ようこそお出でくださいました」

 木戸から現れたのは、鴇色っていうんだろうか、わずかにくすんだ感じがする淡紅色の振袖をまとった
禅寺の君だった。

「ほ、保科さん?!」

 てっきりお手伝いさんとか、執事とか、悪くすると警備責任者とかが出てくるんじゃないかって思って
いたんだがな。まさか、振袖をまとったお嬢様じきじきのお出ましとは驚きだ。

「何をそんなに驚いてらっしゃるんです? ここは、わたくしの家ですし、そのわたくしのお客様がお出で
になったのですから、こうしてお迎えに参った次第です」

「え、ええ、そりゃ、そうですね。は、ははは……」

「そうですとも!」

 そうきっぱりと言いながら、保科さんは端正な瓜実顔を、俺の方へ押し出すように向けてきた。
 ヤバイ。間近で見ると、その美しさにめまいを覚えそうだ。あやせも可愛いし、このところ一緒に昼飯を
食う機会が増えた川原さんも結構な美人だが、保科さんには到底及ばない。

「……お兄さん。何、鼻の下をデレっと伸ばしているんですか。この変態」

 呟くようではあったが、場の雰囲気に似つかわしくない罵声で、あやせが一緒であることを思い出した。
 その自称俺の妹様は、双眸を半眼にして、恨めしげに俺の顔を睨みつけている。

「お前なぁ……。これからあらたまった席だってのに、なんてこと言いやがる。野点の最中にそんなことを
口走ろうもんなら、大ひんしゅくだぞ」

「高坂さん。そんなに目くじらを立てなくても宜しいじゃありませんか。こんな風に言い合えるなんて、
本当にお二人は仲がいいんですね。わたくしは兄弟がおりませんから、あやせさんのことがうらやましいです」

「い、いえ、でも、まぁ、そうですか……」

 要領を得ないことを口走ってしまったが、保科さんは、微笑しながら軽く頷いている。
 どっかの自称俺の妹様のように、人の揚げ足を取るなんてことはしないんだろう。そうした品格が、目に
見える形で美貌にも反映されているのかも知れない。
 午前中の講義後、学生でごった返していた教室で、保科さんは俺を呼び止め、野点が本日であることを
他の学生にも聞こえるような声で告げたが、それは保科さんがド天然だからだ。
 人のことを悪し様に言うことなどあり得そうにない保科さんにとって、単に俺が野点にちゃんと来るか否
かを確認しておきたかっただけであり、他意はないのだろう。

「では、狭いですけど、こちらからお入りください」

 保科さんは、舞うような足取りで門脇の木戸をするりとくぐり抜けていく。俺たちも、それに続けという
ことなのだろう。

「こんな狭いところをくぐるんですか?」

「みたいだな……」


580:風(後編) 25/63
11/07/18 10:16:24.66 8mgfk2k0

「もう! 晴れ着を変なところに引っ掛けたら、大変じゃないですかっ!!」

 あやせの振袖だって結構な品なんだろう。それだけに、彼女の当惑というか、不満はごもっともだ。

「でも、保科さんがやったようにすれば、大丈夫なんじゃねぇの?」

 郷に入っては郷に従うのがルールだ。俺は、むずかるあやせの手を引いて、ゆっくりと木戸をくぐって
いった。 
 木戸は、思ったよりも間口や高さがあり、俺もあやせも無難にくぐり抜けることができた。屈めていた身
を伸ばして周囲に目をやると、大きな門の袂に俺たち二人は立っており、俺たちの目の前には、ちょっと
悪戯っぽく笑っている保科さんが居た。

「いきなりでびっくりされたでしょうが、この木戸は、極々近しい者しかくぐらないんですよ。お二人は、
今回、特別なお客様ですから、門ではなくて、こちらの木戸を通っていただいたんです」

「そ、そうですか……」

 俺は、口ごもりながら笑顔の保科さんをチラ見した。こんな風にも笑うんだ。こういうときは、どっかの
お嬢様っていうよりも、普通の女の子っぽくていい。
 さっきの木戸を保科家の極々近しい人だけが通るというのが本当だとしたら、保科さんをはじめとする
保科家の人々は、徒歩で出掛ける時、この木戸を通るんだろう。そう思うと、束の間の窮屈な思いも悪くは
ない。

「では、参りましょうか……」

 保科さんが先に立って歩き出した。俺たちもその保科さんについていく。大小不揃いな石を組み合わせた
石畳の通路が、門から母屋の方へ伸びていた。だが、保科さんは、そっちの方ではなく、石畳から分岐して
点々と続いている玉石の上を進んで行く。

「保科さん。そっちは建物じゃなくて庭ですけど……」

「大丈夫です。こちらに、お茶の作法をお教えする場所がございますから……」

 保科さんは振り返りもせずにそう告げた。
 俺とあやせは、当惑して顔を合わせた。
 しかも、あやせの奴は、口をへの字に曲げて、首を左右に振りやがった。
 保科さんは当惑する俺たちには構わず、玉石の上をしずしずと進んでいく。玉石の周囲には枯山水で使わ
れるような白い砂利が敷かれていて、玉石ともども白っぽい帯となって庭の奥へと続いている。その白っぽ
い砂利の帯から外は、しっとりとした緑色の苔が絨毯のように地面を覆っていた。

「今は、お花があまりありませんけど、春には背後の山の桜がきれいなんです。それに、もうしばらくすれ
ば、夏の花が色々と咲くんですよ」

 いや、花なんかなくても、白い砂利と緑の苔のコントラストが美しい。
 見る目がなければ、単に苔が生えた地面に石と庭木が不規則に並べられているようにしか感じないだろう。
だが、保科さんと出会った禅寺の庭園もそうだったが、石と苔と緑の庭木が織り成す空間は、ある種の荘厳
さに満ちていて、自ずと背筋が伸びるような気がした。
 計算し尽くされた不規則性が、保科さんの家の庭園にはあるのだ。

「こちらです……」

 俺たちは、庭園のどん詰まり、保科邸の背後の山々の木々が間近に迫る場所に来ていた。
 そこには、草葺の小さな庵が、背後の木立と庭の植え込みで隠れるように、ぽつねんと建っていた。
 それが茶室の庵であることは、俺にも分かった。だが……、


581:風(後編) 26/63
11/07/18 10:17:29.61 8mgfk2k0

「入り口は、ここなんですけど……」

「こ、ここって……」

 俺とあやせは思わず顔を見合わせたね。
 だって、保科さんが言う入り口ってのは、戸棚か何かの引き戸かと思うほど小さかった。

「ここは、さっきの木戸よりもさらに狭いですから注意してくださいね」

 言うなり、保科さんはその引き戸を開け、身を精一杯に屈めて、滑るように茶室の中へと入っていった。

「では、高坂さんにあやせさんも入ってください」

 気は進まなかったが、仰せの通りにした。
 先ほどの木戸とは比較にならないほど狭かったが、それでも、しっかりと身を屈めると、肘や背中をどこ
にも擦らずに中へ滑るように入ることができた。
 今にして思えば、さっきの木戸は、ここをくぐり抜けるための予行演習みたいなもんだったのかもな。

「これが本物の茶室か……」

 何かの書籍で写真を見たことはあったが、実際に目にし、その中に入ったのはこれが初めてだ。
 写真でも草庵風の茶室というものは、狭いという印象だったが、この茶室も、たしかに狭い。何かの書が
掛けられている床の間のような部分を別にすれば、広さは四畳半程度だろうか。俺が住んでいる下宿の方が
格段に広く感じる。

「本物だなんて……。茶室の作りに厳格な様式はありませんから、流派によってまちまちですし、各流派も
茶室の様式にそんなに神経質ではありません。要は、世俗から切り離された空間で、お茶をいただけるもの
であれば、どのような様式でもよいのです」

 保科さんは笑顔でそう言い、座るよう、俺たちを促した。

「でも、座布団がないじゃありませんか!」

 あやせが不平丸出しの刺のある口調で保科さんに噛みついている。たしかに、座布団なしで畳の上に正座
はきついな。

「茶の湯で座布団は使いません。座布団というものは、茶事のような正式な席で使うべきものではありませ
んからね」

「座布団は下品だってことですか?」

「う〜ん、下品とまでは申しませんが、決して上品なものではありませんね」

 そうなんだ。知らなかった。
 あやせも、座布団が上品な代物ではないことを保科さんから指摘されたら、未だに不服そうではあったが、
押し黙った。
 保科さんは、嫌味な言い方だが、上流階級としての躾をちゃんと受けている。
 その彼女が上品ではないと言うのであれば、それはそうなのだろう。

「では、お言葉に甘えて、失礼致します」

 俺は保科さんに近い方に座ろうとしたが、それはあやせに止められた。

「お兄さんは保科さんを意識し過ぎです。ですので、保科さんの間近に座らせるわけにはいきません」


582:風(後編) 27/63
11/07/18 10:19:03.03 8mgfk2k0
「て、おい、おい……」

 とんだ、おてんばだな。こんなんで野点で粗相でもされたら、たまんねぇ。
 だが、保科さんは、そんなあやせを微笑ましくさえ思うのか、涼やかな笑みを微かに浮かべながら炉が設
けられた一角に座り、炉の上で湯気を立てている茶釜の蓋を取り上げている。

「お湯を沸かしておいたんですか?」

「ええ、最近は炭火ではなく電気の炉ですから、準備も簡単なんです」

 にしても用意周到だな。
 保科さんも大学から戻って着替えとかが必要だったろうから、茶室で湯を沸かしていたのは、お手伝い
さんとかなんだろうか。
 おっと、余計なことを考えている場合じゃない。

「では、本当に短時間ですが、これからお二人に茶の湯の一連の所作について簡単にお教えできればと思い
ます」

「よ、宜しくお願いいたします」

 かしこまった保科さんの居住まいで、場の空気が一段と引き締まってきたような気がした。
 茶室という狭い空間は、こうした緊張感を演出するためのものでもあるらしい。

「でも、今日の茶会は野点ですから、そんなに緊張されなくても大丈夫です」

「は、はぁ……」

「野点には、特別にこれといった作法はございません。ただ、全く気楽なものかといいますと、そうでも
ありません。昔から野点というものは、『定法なきがゆえに定法あり』と言われておりまして、様式や作法
がないということが、野点の易しさでもあり、難しさでもありましょうか」

 う〜ん、定型がないものほど難しいってのは、何となく分かるな。それでも、手本となるべき所作はある
んだろう……。

「要は、マナーや常識を心得た自然な振る舞いができればいいのです」

「自然な振る舞いですか……」

「ええ、ただ自然に振舞うには、俗なところが無く悟った境地にある者でないと難しいという茶人もおりま
す。しかし、わたくしどものような世俗の者は、そこまでの境地に至ることは難しいでしょうから、先ほど
も申しましたように、マナーや常識を心得た自然な振る舞いであれば、十分でしょう」

 そう言うと、保科さんは、黒漆塗りで掌に乗るほどの大きさの器の蓋を開けた。その中にはモスグリーン
の粉が入ってた。その器は、名前だけは俺も耳にしたことがある棗とかいう、抹茶を入れるものらしい。

「今回の野点では、濃い目のお茶を点てますから、この練習でも、ちょっと濃い目に点てますね……」

 保科さんは、竹製のへらのようなもので棗から抹茶を掬うと、それを茶碗に入れ、柄杓で湯を注ぎ、茶筅
を使って点て始めた。
 茶を点てているときの保科さんは、先ほどとは別人のように真剣だった。そのぴりぴりする空気に、俺は
もちろん、あやせも圧倒されて、居住まいをあらためるように、背筋を伸ばしてかしこまった。
 保科さんは、茶碗の中で茶筅をゆっくりと優雅に巡らせると、その茶筅を漆塗りの盆の上に戻し、茶を点
て終わった。

「では、あやせさんからどうぞ、と申し上げたいのですが、その前に一つだけ確認をさせていただきたい

583:風(後編) 28/63
11/07/18 10:20:06.16 8mgfk2k0
ことがございます」

「何でしょうか?」

 勿体をつけられて不服なのか、あやせの奴がまなじりを吊り上げていた。
 本当に、保科さんに対してはガキ丸出しだな。

「拙宅の野点は、茶事の様式で行われます。ご存知かも知れませんが、茶事とは少人数のあらかじめ招待
された方々で行う密接な茶会であり、一つの椀で同じ濃茶を回して飲んでゆくものです。ですから、あやせ
さんは、出されたお茶を軽く含むだけにして、茶碗を高坂さんに渡すようにしてください」

 『一つの椀で同じ濃茶を回して飲んでゆく』を聞いたあやせが目を剥いた。

「そ、それって、か、か、か、か、間接キスじゃないですかぁ?!」

 た、たしかにそうだわな。でも、うろたえるこたぁねぇだろうが。一回だけだけど、特濃ディープキスを
やってるんだからさ。

「う〜ん、そのようなことは、わたくし考えたこともございませんが……。あやせさんは潔癖症のようです
から、気にされるんでしょうか……」

「気にならない方が、余程どうかしていると思います。第一、不衛生じゃないですか」

 おい、おい、それってなにげに失礼な発言だぞ。
 捉えようによっては、自分以外の者は病原菌を持っていると言ってるようなもんじゃねぇか。

「不衛生って言われればそうかも知れませんね……。しかし、気休めですが、飲み終えた方は、椀の飲み口
を懐紙で拭ってから次の方に椀を渡すことになっています」

「で、でも……」

「おい、もう、その辺にしておけ」

 俺は肘であやせの脇腹を小突き、彼女をたしなめた。これ以上無作法な真似をされては敵わない。
 だが、あやせは、小突いた俺をムッとして睨み返し、なおも保科さんに食らい付いていやがる。

「こ、今回の野点の席順は、もう決まっているんですか?」

 もう、厳かな雰囲気が台無しだ。何をやってるんだろうね、本当に。
 それに引き替え保科さんは泰然としたもんだ。
 
「ええ、お茶を点てる先生の側から、他の招待客の皆様が並ばれて、その後にわたくし、それから高坂さん、
最後にあやせさんが座ることになっています」

「じょ、冗談じゃありません!」

「どうしてですか? わたくしは、今回お茶は点てませんから、末席の方に控えるべきですし、高坂さんや
あやせさんは、他のお客様とは面識がありません。ですから、間にわたくしが居た方が、お二方もお気が楽
になるのではないかと思いまして……」

「そ、それはそうですが、その席順では、あ、兄が……」

「高坂さんが、どうかなされるんですか?」

「ど、どうって、言いましても……」


584:風(後編) 29/63
11/07/18 10:21:16.76 8mgfk2k0
 保科さんに食らい付いたはいいが、保科さんの論が至極妥当だからか、気の強いあやせが口ごもってし
まった。
 こいつ、保科さんと俺とが間接キスするのが嫌だったんだな。不衛生云々は、単なる口実だったのか。

「困りましたねぇ……。一つの椀で同じ濃茶を回して飲んでゆくのは、茶事における鉄則とも言うべきもの
なのですが……」

 ぶーたれている、あやせに対しても、保科さんはあくまでも笑顔だった。

「……では、茶事様式が苦手なあやせさんは、野点が終わるまで拙宅のどこかで控えていただき、野点には
高坂さんだけが参加されるということに致しましょうか」

「そ、それは困ります!」

「では、あやせさんも、茶事の様式を守っていただき、席順も先ほど申し上げた通りでお願い致します」

「は、はい……」

 一応、頷きはしたが、あやせには不満の火種がくすぶっていやがる。
 唇を悔しそうに引き結び、眉をひそめているからな。今日の野点、本当に気が抜けないぜ。

「では、仕切り直しです。それはそうと、お二人は懐紙はお持ちですか?」

「いえ、持っておりません……」

 不勉強過ぎたよな。同じ茶碗で回し飲みすることも知らなかったし、茶事に懐紙が必要なことも知らな
かった。

「では、この袱紗挟みをお使いください」

 保科さんが、布製の四角い物入れをどこからか取り出し、それを俺たち二人に手渡した。

「その中に懐紙が入っています。和服姿のあやせさんは、その袱紗挟みを懐に入れて、野点の席に着いて
ください。スーツ姿の高坂さんは、その袱紗挟みを手にして席に着いていただければ結構です」

「は、はい……。開けてみてもいいでしょうか?」

「どうぞ、と申すよりも、この練習でも使いますから、そのままお膝元に置いていただいて構いません」

 袱紗挟みには、高級そうな和紙でできた懐紙が十枚ほど入っていた。袱紗挟み自体は木綿かと思ったが、
微妙に風合いが違う。どうやら、紬でできているらしい。

「では、遅くなりましたが、あやせさん、お受け取りください」

 保科さんは、やりこめられて凹んだままのあやせに茶碗をそっと手渡した。
 それを両手で不器用に持ったまま、あやせは固まってしまっている。

「こ、この後は、どうすればいいんでしょう……」

「この前、お寺さんでお抹茶をいただいた時と同じようでいいのです。型に嵌った所作は、かえって無粋で
す。先ほども申しましたように、自然な振る舞いが第一ですよ」

「は、はい……」

 自然な振る舞いねぇ……。気持ちが昂っている今のあやせには、かなりきつい要求だな。
 それでも、あやせは頑張って、どうにかこうにか自然そうに振る舞うことができたようだ。


585:風(後編) 30/63
11/07/18 10:22:38.60 8mgfk2k0
「あやせさんは、椀のお茶を半分ほど飲んだら、椀の飲み口を懐紙で拭い、その椀を高坂さんにお渡しくだ
さい」

 あやせが、言われた通りに飲み口を懐紙で拭い、それを俺の方にそっと差し出してきた。
 あやせから受け取った茶碗には、細かい泡が微かに残ったお茶が、椀の底の方に溜まっていた。

「高坂さんは最後の方ですから、残ったお茶をゆっくりでいいですから、全部飲んでください。飲み終えた
ら、わたくしがその茶碗を引き取りに伺います」

「分かりました」

 俺は保科さんが点ててくれたお茶をゆっくりと味わった。なるほど。濃い茶というだけあって、先日、
禅寺で飲んだものよりも格段に濃厚な味わいだ。しかし、変な苦味は全くない。おそらく最上級の抹茶を
使い、かつ保科さんの点て方が上手なのだろう。

「では、椀は、わたくしにお返しください」

 俺の前にやってきた保科さんに空になった茶碗を差し出した。
 茶椀を受け取った保科さんは、炉の前に座り直し、懐紙で茶碗を丁寧に拭っている。

「ひとまずは、これでよいでしょう。後片付けは、野点が無事に終わってからですね」

 それから保科さんは、「え〜と、炉の電源は……」と呟きながら、何かのスイッチを切ると、正座して
いた俺たちに、茶室を出るように促した。
 練習はこれでお仕舞いらしい。時計を見ると、午後三時十分前だ。時間的にも頃合いだな。
 この練習がなかったら、とんでもないことになるところだった。そもそも、一つの椀で回し飲みすること
すら認識していなかったんだから、ぶっつけ本番だったら、あやせがパニックになったかも知れない。

「では、お兄さん。先に参ります」

 そのあやせが、つと立ち上がって、茶室の出入り口に向かっていく。俺も、立ち上がって、あやせの後に
続こうとした。だが、

「……?!」

 立ち上がることはできたが、両足に違和感を覚え、俺は不覚にもよろめいてしまった。

「高坂さん、どうかなさいましたか?」

 保科さんが心配そうに見詰めている。

「な、何でもありません。ちょっと、足がもつれただけです」

 取り敢えずは、そう言い繕った。しかし、何なんだ、この唐突に感じた足の異常な痺れは。
 こっちに来てからというものの、下宿は座り机だったから、正座には慣れているはずだった。実際、時折、
膝を崩すときはあったが、何時間でも座っていられた。それなのに……。

「高坂さん、もしかしたら、ズボンがきついんじゃありませんか?」

「え?」

 そうかも知れなかった。今風のスリムなシルエットが仇になったようだ。椅子に座る程度では何も問題は
ないが、正座では膝を目一杯曲げるから、細身のズボンだと生地で血管を無用に締めつけてしまうんだろう。

「今は、そうしたスリムなスーツが多いですから仕方がないのでしょうけど、困りましたね……。

586:風(後編) 31/63
11/07/18 10:23:46.03 8mgfk2k0
拙宅に高坂さんも着用できそうな着物がありますが、それに着替えられてはどうでしょうか?」

「せっかくですが、もう時間が……」

 時計を見ると、野点の時間まで、あと八分程しかない。

「お兄さん、何をぐずぐずしているんですか!」

 いち早く茶室の外に出ていたあやせが、俺と保科さんが未だに出てこないのでヒスを起こしていた。

「そうですか、でも、ご無理なさらないように。もし、足に違和感があったら、遠慮なく仰ってください。
健康上の理由で茶事を中座しても、それは非礼にはあたりません」

「は、はい……」

「とにかく、あやせさんも痺れを切らしているようなので、ここを早く出ましょうか」

 そう言って、保科さんは悪戯っぽく笑った。
 俺の足の痺れと、あやせがヒスを起こしていることを洒落ているのだ。
 俺は保科さんに促されて、茶室の出入り口をくぐり、外に出た。次いで、保科さんが優雅な振る舞いで、
滑るように茶室の外に出てきて、俺の傍らに並んだ。

「お兄さん、本当に、何をやっているんですか。んもう、時間がないんですよ!」

 時間云々は見え透いた口実で、束の間であれ、茶室という密室に、保科さんと二人きりだったのが気に
食わないだけだ。
 俺のことを気遣ってくれた保科さんに比べて、やっぱガキだな。

「まぁ、まぁ、あやせさん。そんなに不機嫌ですと、せっかくの美人さんが台無しですよ」

 保科さんにたしなめられて、あやせはその形相をいっそう歪めた。
 こうなると、もはや般若の面とどっこいどっこいだな。
 保科さん一族が鬼女の末裔とかいう伝説があるようだが、こいつの方がよっぽど鬼女らしい。

「保科さん、そろそろ……」

 時刻は午後三時五分前だった。野点の開始に間に合うのかどうか不安が募る。第一、当の野点が保科邸の
どこで行われるのかさえ、俺とあやせは把握していないし、この広い保科邸のどこに何があるのかも分から
ないのだ。

「こちらです。お二人とも、わたくしの後についてきてください」

 やや小走りに歩き出した保科さんに従って、俺たちも道を急いだ。その保科さんは、来た道とは別の方角
に伸びている丸石が敷かれた小径をずんずん進んでゆく。

「あの離れの角を右に回り込めば、野点が行われる中庭に着きます」

 言われたとおりに、その角を回ると、母屋と離れに囲まれた中庭に飛び出した。その中庭は、俺たちから
見て、右手方向が枯山水になっていて、屹立する岩山をイメージさせるいくつかの庭石の間には白い砂が敷
かれていた。その白砂には水が流れる様を表現した箒目が付けられている。

「あそこが、野点の会場です」

 保科さんの目線を追うまでもなく、中庭の左手方向には、赤い絨毯のような緋毛氈が敷かれ、朱色の大き
な傘が立てられているのが目に付いた。
 その大きな傘の下には炉が据えられ、その上の茶釜からは湯気が湧き出していた。


587:風(後編) 32/63
11/07/18 10:24:51.34 8mgfk2k0

「急ぎましょう」

 既に俺たちを除く他の招待客は席に着いていて、炉から離れた末席とでも言うべき場所に、都合三人が座
れそうな場所が空いていた。

「お嬢様。お待ちしておりましたぞ」

 保科さんが緋毛氈に座っている来客たちに近づいていくと、そのような声がそこかしこから聞こえてきた。

「いえ、お嬢様だなんて……。それに本日は未熟者のわたくしではなく、先生にお茶を点てていただきます
ので、わたくしはこちらの方で目立たぬように控えさせていただきます」

 いなし方も堂に入ったもんだ。一歩間違えれば嫌味になっちまうのに、保科さんが言うと、全然そうじゃ
ないからな。

「しかし、本日は、おのこを連れてですかな。嬢様もすみには置けませぬなぁ」

 招待客のうち、禿頭で暗褐色の地味な着物を着た、おそらくは喜寿ぐらいになりそうな老人が笑いながら、
そう言ってきた。

「和尚様、そのようなことを仰られると、檀家の皆様から、生臭ナントカと言われてしまいますよ」

「はははは……、これは参った。嬢様には敵いませぬなぁ」

 和尚様と呼ばれた老人は、年に似つかわしくなさそうな張りのある声で、からからと笑っている。

 この爺さん、俺と保科さんが出会った禅寺の住職か何かだろうか。
 それにしても小柄で細身のくせに、よく通る声だな。少なくとも、ただ者じゃなさそうだ。
 その爺さんと俺の視線が交錯した。彫りの深い面立ちに柔和そうな目だった。だが、その目が一瞬だけ、
かっと、見開かれ、俺をたじろがせた。俺が何者であるのか、その眼光をもって吟味したのだろうか。
 だが、それだけだった。爺さんは、もう俺には目もくれず、俺の後ろに控えているあやせの方を向いている。

「おのこだけでなく、嬢様に勝るとも劣らない別嬪さんもお越しとは、愚僧、長生きはするもんですな」

「和尚様、それぐらいにしてください。いくら野点は格式張らないとは申しましても、和尚様の悪ふざけは
度を越しております」

「おお、嬢様の突っ込みはいつもこうじゃ。こわいこわい……」

 保科さんと比較されるという微妙な褒め方だったからか、あやせが『何なのこの爺さん』と言いたげに、
「こわいこわい」と呟きながらも笑っている和尚を、半眼で睨んでいる。
 実際、変なジジイだよな。さっき一瞬だけ、眼光が鋭いように感じたのも錯覚だったのもかも知れねぇ。
 しかも、

「そこな青年、嬢様のような美しいめのこは、こんな風に怖いものじゃ。十分に気をつけられよ、嫁にする
と、後々、尻に敷かれるでな」

 うわぁ、保科さんに釘を刺されても全然堪えてねぇや、このジジイ。しかも、よりにもよって、保科さん
みたいな人を俺の嫁にってのは何だよ。そんなことを考えただけで、我が身がどうなるか分かったもんじゃ
ねぇ。

「……お兄さん……」

 その最大の危険要素が、今、俺の傍らにいやがる。万が一にもあり得ないが、俺が保科さんと付き合いだ

588:風(後編) 33/63
11/07/18 10:25:52.59 8mgfk2k0
したら、俺はこいつに速攻でブチ殺されちまう。

「和尚様、これ以上、わたくしのお客様を困らせないでください。こちらの殿方は、わたくしの同級生であ
る高坂京介さん、そしてそのお隣の可愛らしいお嬢さんは、高坂さんの妹さんの高坂あやせさんです」

「お嬢様のご学友でしたか……。そうすると、優秀な方なんですね」

 和服姿の品のよさそうな老婦人がにこやかに頷きながら、そう言ってくれた。
 優秀ね……。今の大学に合格できたのは、ほとんどまぐれと言ってよい。大学受験だけに限れば、運がよ
かったというだけのことだ。それでも、

「ありがとうございます。今の大学に合格できて、この街で暮らせるのは、本当にありがたいことだと思い
ます」

 無難な言い回しでその老婦人には応えておいた。もうガキじゃねぇんだ。場をわきまえないといけない。
 それに、俺とあやせ以外の招待客は、みんな目上の人ばかりだ。さっきのジジイみたいな変なのもいるが、
一応は長幼の序ってもんがあるからな。
 
「それでは、高坂さん、あやせさん。こうして立っていたのでは、野点を始められませんから、わたくし
たちも座りましょう」

 保科さんに促されて、俺とあやせは、先ほど茶室で保科さんに教えてもらった通りの席順で、緋毛氈の上
に正座した。つまり、茶釜のある方、上手とでも言うのだろうか、そちら側から保科さん、俺、あやせの順だ。
 
『意外にクッションはあるんだな』

 座布団なしってのを覚悟していたが、それほどひどいものではなかった。どうやら、緋毛氈の下に砂か何
かが敷いてあるらしい。

 保科さんや俺たちが正座すると、それが野点開始の合図であったかのように、一番上手の釜の前に座って
いた、おそらくは保科さんが言うお茶の先生らしき初老の男性が深々と一礼した。
 それに応えて、保科さんも招待客たちもお辞儀をしている。俺もあやせも、ワンテンポずれたような感じ
は否めなかったが、どうにか礼をした。

「始まりました。もし、足が痺れたようなら、遠慮なさらずに、わたくしにお知らせください」

 保科さんが、あやせにも聞こえないように、そっと耳打ちした。
 本当に気配りの人だなぁ。保科さんの温情はありがたいが、そうした特別扱いは俺にとっては恥だ。
 保科さんには悪いが、保科さんの善意をあてにせず、何とかこの野点を最後まで乗り切ってやる。
 覚悟とか決意とかがあれば、どうにかなるもんだ。

「お菓子が配られますから、懐紙を出して、それでお菓子を受け取ってください」

 和服を着た二十代後半くらいの年頃の女性が、野点の客の各々に角ばった白い菓子を配っていた。女性は、
保科家のメイドさんというか、お手伝いさんのようだ。菓子は、おそらく落雁だろう。

 菓子を配る女性が俺とあやせの前にも来た。保科さんに言われ、ついさっき彼女がやったように、懐紙を
掌の上で広げて持ち、そこに菓子を置いてもらった。

「……お兄さん。何ですか、このお菓子は……」

 あやせが出された菓子を怪訝そうに見詰めている。

「落雁だよ。蒸して乾燥させた米を粉にして、それに水飴や砂糖を加えて固めたもんだ」


589:風(後編) 34/63
11/07/18 10:26:54.53 8mgfk2k0

「高坂さん、よくご存知ですね」

「いえ、たまたま知っていただけですよ」

 あやせが「へぇ〜」と応答する前に、間髪いれず保科さんが突っ込んできた。麻奈実の実家でも作って
いたから知っていただけなんだよな。これで、保科さんの俺への心証はア〜ップ! 保科さんは俺とは住む
世界が全く違う人だが、それでも心証は悪くなるよりよくなった方がいいからな。

 しかし、出鼻をくじかれたあやせは、これで保科さんへの敵意を一段と増したに違いない。恐る恐る横目
で伺うと、眉をひそめて俺を睨んでいやがった!
 どうやら、保科さんとは正面切って戦うことはできそうもないから、腹いせも兼ねて、まずは俺を叩こう
ということか。

「先生のお点前を見てください」

 あやせの怒気にビビリ気味だった俺は、保科さんに言われて、視線を上席の方に向けた。
 野点とはいえ、茶事に出られるのは、俺の人生でこれが最初で最後かも知れねぇからな。所作とか作法
とかは皆目分からないが、どういうものだったかを後々まで思い出にできるようにしておきたい。

 釜の前では、茶の湯の先生が、茶碗の中で茶筅を振るっていた。
 上体がぶれず、あたかも茶筅だけが動いているような安定感が、無知な俺にも分かった。
 シンプルな動作だが、こうした域に達するのは、相当な修練を積まねばならないのだろう。

 茶事の客は、俺とあやせと保科さんを含めて八人だったから、茶碗もかなり大ぶりな感じだ。その茶碗が
一番目の客、つまりは一番の上席に座っている客に手渡された。
 その客は、彫りの深い品格ある面立ちの初老の男性だが、どっかで見たような感じがした。

『大学の学長じゃねぇし……、教授でもねぇし……。誰だったかな?』

 俺がこの街で見かけた品格がありそうな初老の男性っていうと、大学の先生ぐらいしかねぇからなぁ。
 しかし、そうじゃないとなると、誰なんだ。

「今、茶碗を受け取られたのは、この街の市長さんですよ」

 俺の気持ちを見透かしたかのように、保科さんがそっと教えてくれた。
 そうだよな、保科家が、この地方屈指の名家であることを忘れてたぜ。
 それに、当意即妙な保科さんにも驚きだ。ド天然かと思っていたが、あやせ同様に無駄に勘が鋭いみたい
だな。
 そう思った瞬間、あやせが、じろりと睨んできた。

「……お兄さん。なにげに失礼なことを考えていませんでしたか?」

「気のせいだ……。それよりも、この茶事の進行をしっかり見ておいた方がよくないか?」

 これだからな。勘の鋭い奴ってのは油断できねぇ。
 時折、あやせの奴は、テレパシーか何かで俺の心を読んでいるんじゃねぇかって思いたくなる。
 こいつの前での下手な企みごとは、墓穴を掘るだけだな。
 
「お二人とも、お客様からお客様への茶碗の受け渡しをよく見ておいてください」

 茶道の心得が皆無の俺とあやせは、他の招待客の所作を真似るのが手っ取り早い。
 俺は、この街の市長であるという初老の男性の振る舞いに注目した。
 その初老の男性は既に茶を飲んだ後で、茶碗に口をつけた部分を懐紙で拭い、茶碗を掌の上でちょっと
だけ回した。次の客に自分の口が触れた場所をあてがわないためのものらしい。


590:風(後編) 35/63
11/07/18 10:28:03.85 8mgfk2k0
 その茶碗は、市長の夫人らしい初老の女性に手渡された。二人は一言も言葉を交わさずに、茶碗を受け渡
し、初老の男性と女性は、軽く頷き合うかのように礼をした。

 控え目な動作の中に、空気そのものを重く高密度にするような緊張があり、何も分かってない若造の俺も
背筋を伸ばし、居住まいを改めた。

 茶の湯って、やっぱすげぇな。
 怠惰な俺の日常とは正反対の世界だぜ。

 その女性は、ゆったりとした自然な動作で茶碗を傾けて濃い目に点てられているであろう茶を一服すると、
先ほどの男性と同じように、懐紙で茶碗を拭い、その茶碗を掌の上で少しだけ回していた。

 後は、その繰り返しだった。どうすればいいのか、俺にも分かった。多分、あやせも分かっているだろう。
 要は、相手に敬意を抱いて茶碗を受け取り、又は受け渡す。受け取った茶碗の茶は、後の人のことを慮っ
て、一口だけ味わう。飲み終えたら、自分の唇が触れた箇所は懐紙で綺麗にして、その部分が相手の手元に
来ないように、茶碗を心持ち回すということだ。

『何てことはないはずなんだが……』

 この重い緊張に包まれた中、自然な振る舞いができるだろうか。俺は少々心許ない。
 ふと見れば、あやせの奴も表情を強張らせている。モデルの仕事で、ステージとかに上がるのは場慣れし
ているんじゃないかと思うが、茶事はそれ以上に緊張するものらしい。

 茶碗はその女性から、先ほど俺と保科さんを揶揄したどっかの寺の住職に手渡された。その住職も、先ほ
どの剽軽な振る舞いなどは微塵も感じられない引き締まった表情で茶碗を受け取り、その茶碗から一口、茶
を味わっている。

「大丈夫ですよ……。雰囲気は厳かですけど、いつもの高坂さんらしく、自然体で振る舞ってくださいな」

 俺の緊張感が最大値に達しそうなのが分かるらしい。もう、座布団なしで緋毛氈の上に座っていることも
気にならなかった。
 ただただ、ぴーんと張り詰めた空気の中に俺が居て、その空気の中でつつがなく所作を行う、それだけで
頭が一杯だ。

 どれくらいの時間が経ったのか、茶碗が保科さんのところまで回ってきた。
 保科さんは優雅な振る舞いで茶碗のお茶を一服すると、招待客と同様の手順を踏んで、俺に茶碗を渡して
くれた。

「リラックスしていいんですよ……」

 か細い、囁くような声で、保科さんが俺を励ました。その励ましがあったからってわけじゃねぇが、俺も
どうにか無難に所作をこなせたらしい。
 俺は、最後に控えているあやせのために、ほんの一口だけ茶を残し、これも保科さんがそうやったように
茶碗を拭ってあやせに手渡した。

「……お兄さん……」

 あやせは何かを言いかけたが、それだけだった。場の雰囲気からして私語は慎むべきと思ったのかも知れ
ない。
 そのあやせも、俺同様ガチガチに緊張しているようだったが、無難に所作をこなし、茶を飲み終えた。

「結構なお手前で」

 そんな声が、どこからか聞こえてきた。
 その声で、俺は、緊張感に満ちた茶事の核心部が滞りなく進行したらしいことを感じ取った。


591:名無しさん@ピンキー
11/07/18 10:29:06.80 U7jOP5Ji
ここじゃねえだろ。お前は隔離スレに行ってろ

592:風(後編) 36/63
11/07/18 10:29:14.29 8mgfk2k0
 だが……、緊張が解けたら、足の痺れが一気にきやがった。

「高坂さん、大丈夫ですか?」

 傍目にもヤバイ状況なんだろうな。
 さっきまでは全然気にならなかったのに、今は膝から下が石みたいにコチコチで、全然感覚がねぇ。

 砂の上に緋毛氈が敷いてあったから意外にクッションがある感じだったが、その砂に膝頭が妙にめり込ん
で、かえって脚の血行を損ねたらしい。
 何よりも、保科さんに指摘された細身のズボンが仇になった。

「もう少しの辛抱ですから……」

 茶事はもう終わり、招待客たちは保科邸の中庭をめでながら四方山話をしている。
 その話題も、市の行政のこととか、寺での行事のこととか、聖俗ごちゃまぜでとりとめがない。
 取り敢えずは、俺にもあやせにも関係のない話題だから、もっぱら聞き役に徹することにした。というか、
全然話題についていけないし、何よりも足の具合が相当にヤバくて、じっと黙っているしかなかった。

「お兄さん……、お菓子でも食べれば、少しは気が紛れるんじゃ……」

「……そうだな、未だ落雁を食べていない」

 俺の状態が洒落にならないくらい宜しくないことが、あやせにも分かったようだ。
 そういや、こいつがこんな気遣いを見せるのは、これが初めてかも知れねぇな。

 そんなことを思いつつ、俺は懐紙で包んでおいた落雁を一口かじった。嫌味のないまったりとした甘さが
あって、今まで食べたどの落雁よりも、つまりは麻奈実の実家である田村屋のものよりも旨い。
 どうやら、普通の白砂糖ではなく、和三盆あたりの超高級なものを使っているようだ。

「この落雁、結構美味しいものなんですね」

 普段のあやせだったら、もはや宿敵の一人であろう保科さんを前にして、こんなことは言わなかっただろ
う。一応は、俺の気を紛らわせようということか。

「甘さが上品なのに加えて、粉っぽい感じがしない。相当な高級品だな」

 俺もあやせに相槌を打った。
 実際、あやせと何かしらの会話があると、束の間だが、石の様になっちまった自分の足のことを忘れられる。 
 そのあやせは、ちょっと保科さんの方を窺っていた。
 そして、今は彼女が招待客たちとの談笑に気を取られていることを確認すると、俺の耳元で囁いた。

「来てよかったですか……」

「……今はピンチだが、こうした茶事に出られるのは、一生のうちでそうそうないだろう。だから、来てよ
かった……」

「そうですね……。わたしも、ちょっとだけそんな風に思いました」

「……そうか、それなら救いがある……」

 空はうす曇で、暑くなく寒くなく、絶好の野点日和だった。
 気をしっかり保つために、俺は中庭の枯山水をじっと見た。実のところは、高さが子供の背丈にも満たな
い庭石がいくつかと、その庭石の間に白砂が敷かれているだけなのだが、箒目で水の流れを表現した白砂を
凝視していると、本当にそこに水流があるような気がしてきた。


593:風(後編) 37/63
11/07/18 10:30:41.99 8mgfk2k0
「でも、お兄さん。顔色が……」

「何、大丈夫だ」

 あやせにそう言われるとは、本当に状態が悪いんだな。
 枯山水を本物の水流と感じたのも、苦痛で錯乱しかけているためなのかも知れない。
 そろそろ、この野点が終わってくれないと、足どころか、頭もどうにかなってしまいそうだ。

「では、名残惜しいですけど、そろそろお開きに致しましょうか」

 唐突に響いた保科さんのその声で、俺は心底助かったと思った。
 時計を見ると、午後四時きっかりだ。招待状に書いてあった通りの時間で野点を終えたらしい。
 保科さんも俺の具合がかなり悪いことは知っているが、接待する側の手前、他の招待客を無視して野点を
早めに切り上げるなんてのはできないからな。

「母屋の一室にお酒と簡単なお料理を用意しております。宜しければ、そちらで暫しおくつろぎください」

 先ほど落雁を配ってくれた女性がそう言って招待客たちを母屋へと案内している。
 まず、お茶の先生が先に立ち、続いて市長、市長の夫人、坊さんといった具合に、各々が席を立って母屋
の一室とやらへ向かっていった。

 後に残るは、保科さんと俺とあやせだけだ。

「高坂さん、もう脚を伸ばしても大丈夫ですよ」

 そう言われても、感覚が失せた俺の下肢は、膝から下が石みたいだ。俺は、いざるように身じろぎして、
足の痺れをごまかそうとした。

「お兄さん、何を貧乏ゆすりしているんですか!」

 我ながら相当にみっともないことは自覚しているが、こんな風にしか動けないんだからどうしようもない。
 それでも俺は、どうにかして立ち上がろうと、恐る恐る腰を浮かせた。
 その瞬間、痺れを通り越した激痛が膝下からつま先まで襲ってきて、俺は堪えるために目をつぶった。

「もう〜、じれったい!」

 そんな状況で、あやせが俺の背中を両掌でどやしつけたからたまらない。

「バカ! いきなり何しやがる」

 俺はバランスを崩し、つんのめった。

「!!!!!」

 いきなり、ぐにょんとした弾力を顔面に感じ、ほんのりとした香りが俺の鼻腔をくすぐった。
 驚いて目を開けると、鴇色の着物と白い襦袢の重なりがあって、その隙間からは白い柔肌が……。

「あぅ! こ、高坂さん、い、いけませんわ、こんなことなんて……」

 ちょっと上ずった感じの保科さんの声が、すぐ上から聞こえてきた。
 あろうことか、あやせに背中を突き飛ばされた俺は、保科さんの胸元に顔面をダイブさせていたのだ。

「う、うわぁ! す、すいません」

 慌てて俺は保科さんの身体から離れようとした。だが、悲しいかな、膝から下の感覚が定かでない状態で
は、立つことすらおぼつかず、俺の頭は、そのままずるずると保科さんの胸元から腹部をなぞるように落ち

594:風(後編) 38/63
11/07/18 10:31:57.10 8mgfk2k0
ていき、ついには彼女の太腿の上へと滑り落ちてしまった。

「な、な、な、何をやってるんですかぁ〜〜〜〜〜〜〜!!」

 背中越しにあやせの罵声が聞こえる。
 俺はというと、顔面を保科さんの股間の辺りにめり込ませるようにして、もがいていた。
 もがきながらも、『この鴇色の振袖と襦袢の下には、お嬢様の秘密の花園がある。お、思わず匂いを
……』とか一瞬思ってしまうのだから、我ながら浅ましい。だが、そんな場合じゃねぇよな。

「あ、あやせぇ、な、何とかしてくれぇ!」

 自分の脚が言うことを聞いてくれない俺は、恥も外聞もなく、自称俺の妹様に助けを求めた。

「もぅ、ふざけないでください。お兄さんは変態だから、わざとそんなことをしてるんでしょ?!」

「バカ、こうなったのは、お前が突き飛ばしたからだろうが! それに本当に脚が動かないんだよ! 
だから、早く何とかしてくれぇ!!」

 保科さんに対して、故意にこんな狼藉を働けるわけがない。
 彼女は、俺たちとは住む世界が違う、アンタッチャブルな存在なんだからな。

「本当に、もう、バカで変態で、世話が焼けるんだから……」

 襟首がぐいとばかりに引っ掴まれた。
 いてぇ! あやせの奴、どさくさ紛れに俺のうなじに爪を立てやがった。腹は立つけど、この状況から
脱するのが先決だからしょうがない。
 だが、あやせの奴は、俺の襟首を引っ掴んではいるものの、いっこうに持ち上げようとしないじゃないか。
 何事かと思い、横目でそっと窺うと、俺の襟首を掴んでいるあやせの手には、保科さんの手が添えられて
いた。

「あやせさん、そのように乱暴なのはいけません」

「で、でも、これは兄がわたしにそうしろと命じたから、その通りにしているだけです。何よりも、
このまま兄の失礼な振る舞いをほっとくわけにもいきませんから」

「そうかも知れませんが、高坂さんは足にかなりのダメージを負っています。無理に動かすのは宜しくあり
ません。ですから、このまま、わたくしの膝枕でゆっくり休んでいただくことに致しましょう」

「で、でも、それじゃ、保科さんにご迷惑がかかります。それに、これ以上、兄を甘やかすのは問題です。
兄は変態ですから、保科さんに膝枕をしてもらっている間に、エ、エッチなことを考えるし、も、もしかし
たら、保科さんによからぬことをするかも知れません」

 毎度のことだけど、ひでぇ言われようだな。少しでも俺に対する保科さんの印象を悪くしようって魂胆か。
今となっては、これ以下ってのはないぐらい、落ちるところまで落ちた感じだけどな。
 だが、さすがはド天然恐るべし。

「ほほほほ……、よいではありませんか。それでこそ殿方でしょう? それにわたくし自身が、高坂さんに
膝枕をしてあげたいのです。それなら何も問題はありません」

「そ、そのようなことをしていただく謂れはありません!」

「あやせさんにはなくても、わたくしにはあります。何よりも、高坂さんは足の痺れがひどくて、動けない
のですから、今しばらく、楽な姿勢で休ませてあげなくてはいけません」

「で、でも……」



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