11/05/28 15:26:59.19 HSxL0Aqe
>>441の続き
2.人称・視点について
例えるなら、三人称一元はマリオカートのような、キャラクターの背後にくっついたカメラの状態で、
三人称多元はスーパーマリオブラザーズのような、俯瞰したカメラの状態。
三人称一元は視点となっている人物を基準とした描写になり、その人物以外の内心は見えないが、
三人称多元ではどの人物の内心も客観的事実として描ける。
このSSでいうと、>>420 下から5行目の部分
>部屋の湿度は良好、適度に換気もしてあるようだ。きっと掃除もマメにやっているのだろう。
この描写はアイギス視点。
神視点だと、
<部屋の湿度は良好、適度に換気もなされている。マメに掃除された部屋だ。>
というようなかんじになる。
神視点では、「こちら」「~だろう」「ようだった」という言い回しは通常使わない。
ただ、視点は「三人称一元」「三人称多元」「一人称」とくっきり分けられるようなものではなく、
これらは定規の目盛りのようなもので、「神視点に近い三人称一元」のように、濃淡がある。
三人称一元についても、ほとんど一人称に近いものもある。
一人称に近い三人称については、三人称である、例えばこのSSであれば「アイギス」の部分を、
一人称である「私」や「わたし」に修正するだけで、一人称小説として体を成す。
一人称を選択すると、その人が見てないものは書けない、基本的に視点の変更はできない、
という制約がある一方、特徴的な語りで見せたい時や、
信用できない語り手の手法で客観と主観をわざと乖離させたい時に効果的だったりもするから、
自分がそのSSで何をしたいかによって選択するのが良いと思う。