12/08/24 00:30:17.04
>>573
俺は、千反田と共に地学準備室へと歩いた。
千反田に見つかってからの俺は、さながら刑の執行を待つ死刑囚のようなものだった。
手を洗わせてもらい、教室に帰るまで、千反田は声を出すことはおろか
表情すらも変えなかった。
喜怒哀楽を顔に出さない、豪農令嬢の姿がそこにあった。
そして俺と千反田は、いつも座る窓際の席についた。
千反田は相変わらず表情を変えず、その大きな瞳で俺を凝視している。
沈黙に耐えられなくなり、俺は言った。
「何故、分かった?」
千反田は表情を変えずに、ゆっくりと答えた。
「隣の個室に人が入るのは、音と気配とで分かりました。
もしかしたら私たちの他にも人がいたかもしれませんし、
もしかしたら折木さんが我慢出来ずに入られたのかもしれません。
ただ、それにしてはおかしな事があったんです」
「それは、何だ」
「その・・・用を足すために、衣類を下げる衣擦れの音が聞こえなかったのです」
なるほど。どうやら千反田の五感を侮っていたようだ。
「たいした推理力だな」
「いつも折木さんに考えていただいているので、少しは私も出来るようになったのかもしれませんね」
地学準備室へ戻ってきて、千反田は始めて笑顔を見せた。
「それだけでなく、先ほどわたしがこちらに入った時にも・・・」
まだ俺はやらかしていたと言うのか。
「わたしの引かれた椅子から、折木さんの唾液の匂いがしました。変だと思いました」
やはり舐めるのはまずかったか。
「よく俺の唾液の匂いが分かったな」
「いつも折木さんの側に寄らせていただいておりますので、折木さんの匂いはだいたい分かります」
そう言うと、千反田は少し顔を赤くした。
あの、顔を寄せている時にも、千反田のセンサーは働いていたというのか。
これは迂闊であった。
こいつに俺の個人情報がいつの間にか握られているとは。
千反田は続けた。
「折木さん、おかしな事がありましたが、折木さんにも事情がお有りだと思ったので堪えておりました。
ですが・・・」
千反田は俺の手を握り、さらに俺に近寄って続けた。
「わたしはこれまで折木さんの事を見て参りました。
氷菓事件では大変お世話になりましたし、他の件でもいろいろ助けていただきました。
つい先日のお昼にも、わたしに気を使っていただきました。
ですから、その・・・今度はわたしでお役に立てる事があるのではありませんか?
わたしにも、何か出来ることがあるのではありませんか?
折木さんが何を求めておられるのか、わたし、気になります」
俺に詰め寄る大きな瞳が、さらに大きくなった。
しかし、そこには好奇心以外の何か暖かいものがが宿っているようだった。
俺は、観念したかのようにすべてを千反田に語ったのだった。