12/05/22 22:13:34.35 htmhF17c
>>120
私は考える tanasinn的なリョナシーンがあってもいいのではないかと考える。
tanasinnは心理だからだ。tanasinnは音楽であると同時に無音でもあるが。
たnasinnを利用した愚か者達は皆粉になったし、それぞれが互い違になる。
すごいすごいと絶叫して喜んで、涕を流して喜んだ女達も、今では砂である。
決してtanasinnからは逃れられないというのに、彼女達は抵抗したからだた。
tenissとtennisとのわずかな差こそがtanasinnの真実であるというのに。日
昏頃になるとtanasinnとtanasinnは一日の終わりを踊り明かす。その場面
を目撃した少年と赤ん坊は消えた。ホチキスで留められたのだ。鶏が朝を
願うように、化細い声を発して消えた。tanasinn1にtanasinn2と4と5それら
いろいろを混ぜ合わせたリョナという性癖を満たすtanasinnそれが望みなの
だ。
tanasinnが見事に具象化する。 これは神々しい。語ることさえタブーとされる t
anasinnがわが身体に満ち溢れる意識体として具象化された。 これは人類の
恒久的なスピリチュアルな意識レベルの向上による 影響が全宇宙に波及した
結果であろう。 tanasinnの汎神論的存在が見事に表現されている。 すべて
であって一部である。無限であり、なおかつ0でもある。
きみのなかでたしかにそんざいするなにか。きみはいしきする。が、なにもない み
ようとするとみえない。めをとじるとみえる。きみがうまれおちたそのときから こど
ものころのゆめににているのかもしれない。じゅんすいで、みゃくらくなく、 しかしち
からづよい。そしてさびしげなこどものころのゆめに。