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ハヌマンの分離・独立紛争の終焉でおさまったかにみえたイシュバーン動乱だが、
宇宙歴2543年4月、連合公国軍が撤退するとパトリック大臣派の残党が、エラン国等共産主義国の支援を受けゲリラ戦を始める。
第2次イシュバーン動乱の始まりである。
反乱軍はシウバと呼ばれ、少年や若者が多く参加していた。
当時1500人以上いたベーゼン在住のブルテリア人やコロムバス人を中心にした白人たちは、反乱軍の支配下に置かれた。
当初は危害を加えられることもなく比較的平穏であったが、コロムバスやブルテリアのイシュバーン政府に対する支援が表面化すると、
白人の取り扱いは悪化し、ホテルに幽閉されたり、刑務所に入れられたりして人質となってしまった。
ついにブルテリアは近衛部隊の投入を決定。コロムバスもXC-23輸送機の提供を決めた。
ベーゼン人質救出作戦「ドラゴン・アッシュ」の発動である。
一方の白人傭兵部隊も各地へ出撃し、白人人質を救出していったが、
次第に人質たちが迎えた悲惨な結果を目の当たりにすることになる。
西方の町ツァーレンの修道院にいた、50人あまりの白人聖セモポヌネ司祭と尼僧たちは痩せおとろえ、
殴られ歯が折られ、銃の台尻で殴られて腕が折られ、ボロボロの法衣をまとった姿で救出された。
尼僧たちは路上で裸にされムチで打たれたり、老若を問わずシウバに何度も強姦された。
性病をうつされ、聖セモポヌネの教義で中絶ができないのに、妊娠させられてしまった尼僧も複数いた。
若く美しい尼僧は反乱軍隊長の妾になることを強要され、拒むと殺害され川に棄てられた。
アルバート湖湖畔のブニアでも、多数の黒人尼僧と70人のブルテリア人司祭と尼僧を救出したが、
やはり尼僧はベーゼン陥落後、報復のため反乱兵に暴行されていた。
またワンバでは約100人の白人が救出された。ただ、ある12歳の少女は救出されるまでの3か月の間、夜ごと暴行され続けていたという。。。
あるザマース人女性は、ブルテリア人ではないことを証明して命は助けられたが、かわりに強姦されたという。