11/04/14 18:03:47.84 5FIX2na80
>>94
不寛容と差別は人間の本質ではないよ。
ただの自我を守るための方法論の一つ。
他者とのコミュニケートの結果、
偏った自己イメージから作り出された自我が
痛みを伴って崩壊していくことに直面するのが恐ろしいため、
人々はこれまで、その恐怖と痛みから逃れるべく
不寛容さと差別意識で自分を守っていたに過ぎない。
だが、他者との接触は生きている限り頻繁に行われ、
またそうでなければ、人は社会活動を営んでいくことはできなくなってしまう。
それでも中世近代の小さな世界では、小さな差別的コミュニティを作って
それを強固に守ってさえいれば、自分と違う考え方を持つ人間を矯正や排除もできた。
だが現代のグローバル社会、多様性にあふれ始めた今現在の社会においては、
「自分たちだけが普通、それ以外は異常」というエゴは
もはや無意味であり通用しなくなっているのが現状だ。
この、旧来的なエゴの通用しなくなった世界で、
前近代的な不寛容と差別という方法はすでに己を守る殻にはならなくなっている。
そのことにいち早く気付いた人々は不寛容と差別という古い方法論を捨て、
積極的な他者理解と相互協力という新しい方法論へとすでに踏み出しているのが現実なのだが、
いまだに不寛容と差別で事が済むと思っている旧人類たちは
その新世界から徐々に取り残されていっている。
古い方法論に縛られている彼らは未だに無意味な不寛容さを堅持し続け、
差別と排除のための小さなコミュニティ作りに専念し続けているために、
自分たちの外側に広がっている現在進行形の
新しい世界などすっかり見ることが出来なくなってしまっているのだろう。
世界的な他者理解と相互協力という流れに全く気付くことがないまま、
その不毛な人生の残り時間を終えようとしているのだった。