14/08/28 14:06:21.77 3Y8UbGau
>>769
>>770
「なのかもしれない」
「もしや」
こういった自己認識が生じていれば、人格障害まで向かう事は無いですよ。
俺は人格傾向と人格障害は分けて考える様にしています。
特定の人物の言動によっての周囲の反応を観察すると共に、
自己の言動や周囲との関係性を「意識的に客観視」し、問題が生じていれば「改善する」。
この一連の行動を常日頃から試み、実行・検証出来ていれば、
それは立派な生き方であると俺は考えています。
人間誰しも自分を客観視するのは難しいし、時には恐ろしいものです。
しかし、「聖域なき客観性」を自己に課していれば、力強く生きていけるし、他者への共感性を強め、
それを自分の力にしていく事も可能だと、俺はそう自分に言い聞かせていますよ。
そうして培った「生存力」「修正力」(俺の尊敬する人物の造語です)を他者に向け、
他者の成功や幸福を己の活力に変えていければ最高ですね(アドラー心理学で言う所の「他者貢献」=「生きる意味付け」です)