14/07/08 15:13:18.16 Jhdh0AKB
相手が自分の気づかいに全く気づかず、気づかいに疲れて「私はあなたに気づかいしてるんだからね」
と声に出して言ってしまうと、何か壊れて、気づかいしてきたそれ迄の全部も意味がなくなるし
そもそもその気づかいは、自分なりに相手を尊重し相手の弱さを配慮しようと自発的な心がけで続けて
いたもので、返応や報いが無いからと崩壊させて良いことでは無かった。
返応がないままでずっと気づかいを続けていたら良いのに、疲れて続けられなくなったのは
「容易く疲れる自分の弱さ」だった。自分の側の問題のようだ。
相手が自分の気づかいに全く気づかない、返応や報いが無い、というまま何十年も気づかい
をして、気づかれないまま自分が息を引き取ることが「本望だ!」と思える強さが自分に欲しい。
ある相手に自発的に気づかいをして報いが無いからと相手を恨むのは私が間違っている。
気づかいはそもそも自分がしたくてしていたことだから、気づかいを「した」ことで完遂し
「した」ことで満足したらいい。報いを求めない、見返りを求めない。
することで充足する自己完結の、内心の、他の人から目に見えないものであるからイイ。
でも「たまには私の気づかいに気づいて欲しい」と思う。
私が私の精一杯を注いで(精一杯とは言え、ささやかなことだけれども)あなたを尊重し
失礼にならぬように「あなたが大切よ」と続けているあれこれに、たまには
「うん」とか「あ」とか気づいて欲しい。当たり前のことではないのだと。
疲れてしまうのは私の弱さだけれども。